テイチライド12:水際に阻まれる――帰路、もうひとつの地続きの風景観察記

地図の上で、横浜は東京の南西に位置している。地形の起伏に寄り添う旧東海道の歪んだラインと、その起伏を切り通しや盛り土で力づくに均し、直線的に引かれた第二京浜(国道1号)。近代土木がもたらした二つの思想の並走を身体で受け止めながら、復路は海沿いを選ぶことにした。

浜通りの記憶と、阻まれる水際

みなとみらい橋を渡り、休日の魚市場を通過する。出川哲朗の実家だという老舗海苔店の前を経て、第一京浜(国道15号)の裏道へ潜り込むと、視界に飛び込んでくるのは、係留された無数の釣り船、不揃いに並ぶ古い木製の桟橋、トタンと木材が混ざり合ったバラック特有の無骨な建物だ。往路では気づかなかった海の近さがそこにある。

対岸に陸地が見えるため一見すると運河のようにも映るが、この道の古名が「浜通り」であることを思い出せば合点がいく。大正から昭和の臨海埋立事業によって前面に人工陸地が造成されるまで、ここはかつての海岸線そのものだったのだ。しかし不意に川が行手を阻み、すぐ北側を走る第一京浜へと押し戻される。

昔の海岸線、浜通り。右手の「運河」に船が見える。対岸の埋立地に高速道路が走る。

再び海への接近を試みるが、沿道は巨大な工場やマンション、高架の高速道路によって完全にブロックされ、水際へのアクセスは許されない。進入可能な路地を見つけたと思って踏み込んだ先には、「事業場構内につき立入禁止」の文字。頭上を首都高速の高架が覆い、キリンビールの工場沿いの道を抜け、生麦ランプ入口交差点から産業道路へと折れて東へ向かう。

多車線道路の頭上を高速の高架が完全に覆い尽くし、巨大な貨物車両がひっきりなしに行き交うこの土木空間では、人間の身体も自転車というモビリティも、極小の点へと引き下げられる。

工場地帯を縫って、大師橋へ

鶴見川を渡ると、通りの北側には細かく切り刻まれた区画に戸建て住宅が密集し、南側には巨大な工場と倉庫群が砂漠のように広がる。緩衝地帯を持たずに極端に近接する住宅と工場――その違和感をよそに、そこを生活の足として普通に自転車で行き来する地元住民たちの姿がある。東京の見知ったエリアでは目にすることのない、重工業の文字通りの「主力工場」が巨大な壁となって延々と続いていく。

自転車で直進しようとする身体的ベクトルは、網の目のように敷設されたJR鶴見線や大工場の私有地敷地によって何度も寸断される。

迷い込んだ先で、アナログレコードを一貫生産し続ける「音の聖地」東洋化成の工場が不意に姿を現し、わずかに思考が覚醒する。重厚な物質性と、微細な音の溝が同居する空間の特異点。しかしすぐにまた工場構内へ誤進入しそうになり、慌てて排気ガスと重金属のノイズが渦巻く産業道路の側道へと引き戻される。

気づけば、鶴見線の高架が首都高よりも遥かに高い位置へと線路を伸ばし、やがて視界の外へと分岐していく。工場の密度が希薄になった瞬間、多摩川を渡る大師橋の傾斜が現れ、これまでずっと頭上を圧迫していた首都高の影が羽田空港の方向へと遠ざかっていった。

この先に大師橋が架かる。JCTに向かって高架が曲線を描く。

ギャラリー南製作所と、消えた記録

大田区へ入り、進路を北へ。環八との交差点の角に佇む、不自然にかわいい造形のATMの建物を過ぎる。

途中、2月に志村翔太が個展を開催したギャラリー南製作所に寄った。シャッターは閉まっており、営業日ではない。だが、多摩川を挟んだ「川崎サウスサイドの日常」と「世界の滑走路へ繋がる羽田」という二つの岸の葛藤を主題とした、あの「モビル文学」の展示を見て以来、自らの足で、自転車でこの場所に到達することに意味があった。

志村翔太個展《モビル文学 多摩川アンセム・フォー・マイセルフ》 | 情報科学芸術大学院大学 [IAMAS] https://www.iamas.ac.jp/activity/mobile-literature-tamariver-anthem-for-myself/

都市の地割りと、いま走っているこの大通りの接点は、どれも鋭角に切り裂かれている。街の骨格が完成したあとに、この道路が無理やり割り込んできた証拠だ。第一京浜に合流する頃には、風景の色はすっかり東京のものへと変質していた。

せっかくだからと鈴ヶ森から旧東海道へルートを移すと、不意にいくつかの局地的な祭りの喧騒と遭遇した。灰色のインフラの移動のなかに、突然原色のノイズが混ざる。

さすがに疲労が限界に達し、イートインのあるコンビニに滑り込んでカメラをチェックする。しかし鈴ヶ森の時点でメモリーの容量はゼロになっており、そこから先の記録は一切存在しなかった。最近、この手のミスが多すぎる。


東京〜横浜間。今回の往復で、異なる2つのルートをトレースした。結果として、これまでただ通過する点でしかなかった街々の解像度が、身体を通じて跳ね上がった。もちろん走ったのはわずか二本の線に過ぎず、この地域を面として把握したわけではない。

しかし抽象的な地図をなぞるのではない、この往復運動のなかにこそ、6月から参加するラーニングプログラム「都市と芸術の応答体2026」が思考し志向している、風景の弁証法的な更新がある。この移動と同じように、これから経験していく事象の解像度もまた、確実に上がっていく予感だけがある。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です