SO-101(Standard Open-101 Arms)というオープンソースの産業用ロボットアームがある。従来高価だったロボットが5万円くらいで購入でき、これまで企業や研究機関のような、大規模な設備や資金を持つ組織でなければ取り組むことが難しかったロボット工学や模倣学習を、個人でも扱えるようになるという。
参考 : https://zenn.dev/oggata/articles/ab22362076d9e8
そこで気になったのは、ヒューマノイド(人間に近い身体構造を持つ全身型ロボット)は自転車に乗れるのか、という問いである。YouTubeで探してみたら、すぐに見つかった。
自転車に乗るためには、手足を使って車体を操作しながら全身でバランスを取り、左右の足をリズミカルに動かし続ける必要がある。そのため、ロボットにとってはかなり難度の高い動作なのではないかと想像していた。しかし映像を見ると、ロボットはずいぶん軽快にペダルを漕いでいる。正直、驚いた。
体操選手のような動きをするロボットもいる。もはやSF映画のように見える。『アイアンマン』(2008年公開)の初登場シーンも、たしかこんな感じだったよね。
自分はソフトウェア開発の領域にいるが、最近はAIモデルがソースコードやシステムの動作記録であるログを広範かつ正確に読み取り、それらについての問いに答える精度が日に日に上がっているように感じる。AIが出してくる答えが複雑になりすぎて、人間の側がその正誤を瞬時に判断することさえ難しい場面が増えてきた。
想像にすぎないが、こうしたAIを身体を持つ機械にインストールしたとき、自らの身体をどう動かせばよいか、周囲の空間とどのような関係にあるのかを、人間以上の精度で把握する個体が生まれるのではないかと思う。
例えば、人間が自転車に乗ることで、ある意味では人機一体となって自分の身体だけでは得られないスピードを獲得できるのは、自転車が人間の身体寸法や能力に合わせて設計された、いわばヒューマンスケールの機械だからである。
しかし、体操選手のような動きをするヒューマノイドを見たときに思ったのは、もはや彼らと人間とでは環世界が異なるのではないか、ということだった。環世界とは、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念で、それぞれの生物が自らの感覚器官や身体能力を通して知覚し、行為する「その生物固有の世界」を指す。
人間には人間の身体から見える世界があり、鳥には鳥の、虫には虫の世界がある。もしヒューマノイドが、人間とはまったく異なる速度や精度で身体や空間を知覚し、動けるようになるのだとしたら、それは単に「人間によく似た機械」なのではなく、人間とは異なる環世界を持った、別種の「生き物」に近づいていくのではないか。
そう考えると、人と鳥、人と虫が同じ身体感覚を共有できないように、人間と自転車のあいだに成立しているような、人と機械が互いの能力を補いながらひとつの運動をつくる共同作業は、ヒューマノイドとのあいだでは成立しないのではないか、とも思える。
思えば、「書くこと」とか「考えること」のような日常的な実践は、自分にとってささやかな生きる喜びだったような気がする。知性の面でも身体能力の面でも圧倒的に人間より優れた存在が社会のいたるところに現れ、その成長速度が、一人の人間が何かを学び成長していく速度、さらには生物が世代を重ねながら進化していく速度すら、はるかに凌駕するようになったとき、人間は何をすればよいのだろう。そんなある種のニヒリズムを感じながら、毎日を生きている。今年の夏は涼しいので、晴れた夕方に自転車に乗ると気分がいい。なんだろう。こういうことを生き甲斐にして、生きていけばいいのだろうか。暗闇の中で方向も分からないまま、必死でもがき続けている。