自転車で走り始めた頃、地図に塗られた「緑色」のスペースを目指して走った。私のいつものサイクリング圏内である東東京のエリアには、都が管理する大きめの公園がいくつかある。建設局と港湾局、それぞれの管轄下に分かれて点在している。
自宅から程よい距離にある大島小松川公園は、いつの間にかたびたび足を運ぶ場所になった。この公園に興味を持ったきっかけの一つが、小林坩堝の詩集『小松川叙景』だ。
この公園は、荒川と旧中川に挟まれた江戸川区小松川地区の端に位置する。周囲は巨大な高層住宅群に囲まれている。同時に、荒川の堤防とも直接つながっている。
自宅からのルートは大きく3つある。一つは、曲がりくねった旧中川の堤防から入るルート、一つは、荒川の堤防をそのまま走るルート、もう一つは、鐘ヶ淵通りからゆりのき橋通りを進み、自転車ゲートから入るルートだ。
緩やかな上昇と、広場に集うディテール
ゆりのき橋通りを進み、首都高の高架を潜って公園に突き当たる手前で、道はわずかな上り坂になる。突き当たりの自転車ゲートを抜けると、園路は丘の裾を巻くように弧を描いて続いている。右手には高低差があり、広場はすぐには見えない。進むにつれて地形がなだらかに高くなり、やがて広々とした芝生の空間が開けてくる。変速機のない固定ギアのペダルは、その緩やかな傾斜とカーブに応じて、ごく微細な抵抗を足の裏に返してくる。「登りきる」というほどの明瞭な高低差ではないが、円周をたどり終えた先は、この丘で最も標高が高いエリアだ。

荒川の堤防とフラットにつながる入り口のあたりにベンチがある。そこに座って缶コーヒーを飲むのがいつものサイクルだ。堤防沿いを走ってきたときは、そのままそこへと滑り込む。
目の前には幅のある河川敷が見え、その草むらの先に川面が覗く。対岸の堤防の上には高速道路が走っており、そのすぐ向こうには江戸川競艇場がある。視線を右奥へやると、船堀橋の向こうに船堀タワーが見える。足元には、鳩が寄ってくる。
日の出の頃にここへ来ると、太陽に向かって祈るインド系と思われる人の姿がある。朝が少し進んだ時間になると、中華風のラジオ体操をするグループが集まってくる。

日中になると、芝生にテントを張って過ごす家族連れが増える。正面からは、競艇のエンジン音が響く。船堀橋の奥にある鉄橋からは、地下から地上へと這い上がってきた都営新宿線が荒川を越える轟音が、定期的に通り過ぎていく。上空からは羽田空港を飛び立った飛行機のエンジン音が聞こえる。夜になれば、遠くに東京ディズニーランドの花火が上がる。
様々なルーツを持つ人々が、それぞれの目的でこの空間をシェアしている。
露頭する「事情」と人工の「蓋」
この広大な高台が現在の形になったのは、1997年のことだ。もともとは、荒川を開削した際の残土で湿地帯を造成した土地だった。その後、ここには工場群が建ち並んだ。高度経済成長期を経て工場が移転すると、その跡地を利用して宅地や公園、地下鉄の車両基地などが一体的に整備された。
南の端にある「風の広場」へ向かうと、土に半分埋まった古代遺跡のようなコンクリートの門がある。これは、もともと旧中川の水門(旧小松川閘門)だったものだ。造成の過程で保存することは決まったものの、そのまま埋められたのだという。

この不自然な地形には、いくつかの理由が重なっている。ここは、災害時の広域避難場所だ。同時に、土壌汚染対策のための「蓋」でもある。
海抜2m以下の低地が広がるエリアの色別標高図を見ると、この公園の盛り土だけが、周囲の濃い青の中に緑やオレンジの独立した突起として浮かび上がっている。万が一、この地域が大規模に水没する事態になれば、ここは文字通り水面に孤立した「島」になる。

かつてこの地にあった化学工場から排出された、高濃度の六価クロム。その汚染を封じ込めるため、多摩ニュータウンの開発で出た残土をここまで運び、客土(他所から運んできた土)として積み上げたのがこの丘の正体だ。今でも、周辺からは基準値を超える水が検出されることがある。
太古の湿地から、歴史の最上層へ
だが、時間をさらに遡れば、この土地が抱える履歴は近現代のレイヤーだけにとどまらない。荒川が開削される前、このあたりは川と運河、街道が集まる水運と陸運の要衝として人や物が交錯する場所だった。さらにその前、人間の手が加わるより昔は、利根川(古利根川)と渡良瀬川の双方の水量が流れ込み、広大な湿地帯を形成していた。
太古の湿地は、交通の要衝へ、工場の敷地へ、そして他所から運ばれてきた土によって、低地の中にぽっかりと浮かぶ「島」のような丘へと姿を変えた。
この人工の蓋の上で今、インド系の祈りや、ラジオ体操、あるいは競艇のエンジン音が展開される。幾重にも重なった歴史の最上層で、それぞれの日常の断片が、同じ空間をシェアしている。
かつての水門(旧小松川閘門)が半ば埋もれる風の広場を降り、堤防沿いに南へ進むと、現代の水運の要衝である荒川ロックゲートが建っている。水路だけでなく、ここは自転車にとっても物理的な結節点だ。荒川と旧中川の水位差は最大3メートル以上に達する。その差を吸収する水門の構造上、ここでは一時的に河川敷の道が消滅する。

いわゆる「荒サイ」と呼ばれる河川管理用道路を高速巡航するサイクリストも散歩する人も、すべてが一度スロープを登って堤防の上へと引き上げられる。誰もが強制的に速度を落とされる。サドルから降りるその場所からは、北側の木々に遮られ、旧閘門の姿はもう見えない。
インフラの構造に一度速度を奪われ、そこから斜面を下りながら、また日常の巡航速度へと戻っていく。私が住んでいる上流に向けて「荒サイ」を走りだすとその途中で、堤防の上に長く伸びる「小松川千本桜」の並木が視界に入ってくる。
そのまま低い水際の平坦路を走りながら、いくら左手へ目を凝らしても、高い堤防と桜の並木に阻まれて、自由の広場も風の広場も、その存在を捉えることはできない。
「四十年以上ここに暮らした者はない。ここは住む場所ではなかったから。休むことのない破壊と生産の場所であったから。」
冒頭で触れた小林坩堝の詩集『小松川叙景』に収められた「NOWHERE」の一節。この言葉は、かつてのこの土地の履歴を指していた。だが、破壊と生産を繰り返して客土のフタをされ、現在の巨大な高層住宅群が生まれてから約三十年が経った。エリアの高齢化が進み多様な人たちが暮らし始めた今、この一節は未来の予感としても響く。
次の時間を迎えようとしているその気配は、しかし、この外側の道からは何も見えない。ただ、見えないまま、地表の裏側で何かが確実に変わりつつあることだけが確かだ。
参考文献
本文中で参照した資料(特にネット上のPDFや分割された報告書など)の中に、正確な発行年や全体タイトルが確認できず、参考文献リストへの掲載を見送ったものがいくつかあります。
荒川区. “知っていますか?荒川放水路のこと「荒川放水路通水100周年」”. 2024. https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/arakawa100th.html ,(参照 2026-06-21)
荒川下流河川事務所. “荒川放水路変遷史 もっと知っておきたい荒川放水路の歴史と高架”. [PDF]. 2011. https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000704042.pdf, (参照 2026-06-21)
荒川の将来を考える協議会. “荒川将来計画2010 地区別計画[江戸川区]”. [PDF]. 2010. https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000099678.pdf ,(参照 2026-06-21)
江戸川区福祉部福祉推進課計画係. ” 熟年しあわせ計画(老人福祉計画)及び第9期介護保険事業計画”. [PDF]. 2024. https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/6871/keikaku9-7.pdf,(参照 2026-06-21)
谷弘. “利根川は江戸湾に流れていた ~利根川東遷と川舟の内川廻し~ “. [PDF]. 2020. https://kaijishi.jp/wp-content/uploads/2021/09/resume202010_tani.pdf,(参照 2026-06-21)
中日映画社. “[昭和50年8月] 中日ニュース No.1127_2「六価クロム禍」”, YouTube. 1975. https://youtu.be/HcUT27jYrEA?si=mP_qPm_1yHk6D4Nc,(参照 2026-06-21)
東京都環境局. “TDM(交通需要マネジメント)東京行動プラン 第7章 TDMを支える都市基盤 関連資料”, [PDF]. 2000. https://www.kankyo1.metro.tokyo.lg.jp/archive/vehicle/management/match/tokyo_plan.files/plan5.pdf, (参照 2026-06-21)
東京都建設局. “大島小松川公園マネジメントプラン “, [PDF]. 2022. https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/kensetsu/000021353,(参照 2026-06-21)
東京都都市整備局. “亀戸・大島・小松川地区”, [PDF]. 2009. https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/toshiseibi/pdf_bosai_sai_kai-kameido, (参照 2026-06-21)