「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」

僕にとって、たけしは「ビート」ではなく「世界の北野」だ。映画監督・北野武の作品に、幾度となく揺さぶられ続けてきた人生だった。

ユーモアと余白に満ちた北野映画における屈指の名場面のひとつが、『キッズ・リターン』のラストシーンだろう。そこには一台の自転車が登場する。

『キッズ・リターン』は、落ちこぼれの高校生マサルとシンジを主人公にした青春映画だ。学校をドロップアウトした二人は、それぞれヤクザの世界とボクシングの世界へと足を踏み入れる。一時はそれぞれの道で頭角を現すものの、やがて厳しい大人の世界に直面し、決定的な挫折を味わうことになる。

そして迎えるラストシーン。傷つき、すべてを失って振り出しに戻った二人は、母校の校庭で再会する。一台のママチャリに男ふたりで窮屈そうに跨り、危なっかしくバランスを取りながら校庭を走り出す。その後ろの席からシンジが「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」と問いかける。それに対して、ペダルを漕ぐマサルは笑ってこう返す。「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と。

このシーンで、彼らが二人乗りをしているのが「ママチャリ」であることは、とても重要だ。

ママチャリという、ありふれた日常に属する重たい鉄の塊に、将来の見通しが不安定な男ふたりが跨る。倒れないように必死でハンドルを握り、危ういバランスを保ちながら、とにかく前に進むために、泥臭くペダルを漕ぎ続ける。

このラストシーンが映画として成立するためには、ママチャリでなければならない。オートバイでも、高価なスポーツタイプの自転車でもダメなのだ。

例えば歌謡曲でよく歌われる「夢を持って上京する」といった、内側の世界から外の世界へ飛び出す行為には、いくらかの想像力や思い切りがいる。ママチャリは、若者にとっての「限られた世界」における最長距離の移動手段なのだ。手の届く範囲の日常、まだ何者でもない自分たちの等身大の世界を象徴する乗り物として、これ以上のものはない。

僕は成人してからも無職の時間が長く、人の倍はモラトリアムの時間を過ごしてきた。もう記憶は薄れかけているが、まだ人生の方向が見定まっていなかった時期に、ママチャリに乗って当時好きだった人に会いに行ったり、仲の良かった友達と目的地を決めずにサイクリングしたことをふと思い出す。あのあてのない時間こそ、青春そのものだったのだと、今になって気づかされる。

当時乗っていたママチャリは、いつの間にかどこかへ消えてしまった。あの頃の友人たちが、今どこで何をしているのかも知らない。ただ、今よりずっとナイーブで怒りっぽかった自分と仲良くしてくれたことが、たまらなくありがたい。

そして32歳。眠い目を擦り、草臥れた身体を引きずりながら、呟いてみるのだった。

「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と。

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