「ChatGPTと話しているみたい」と友人に言われてからしばらくの間、人間のことがうっすら嫌いだった。朝から晩までAIとコミュニケーションを取っている。口調が似ると言えばそれまでだが、AIと人間の間に入力と出力のループアンドループがあることは確かだろう。
このAIと人間の関係は、自転車と人間の関係にも適応できる。
自転車に乗っているとき、身体は常に、
「傾いた」
「ハンドルを少し切る」
「重心を戻す」
「路面の抵抗が変わる」
「ペダルの力を変える」
「速度が落ちる」
「ギアを変える」
というような、微細な調整を無意識に行なっている。
入力し、出力に応じて、入力を変える。
入力し、出力に応じて、入力を変える。
なんだか念仏のようだが、AIとの対話も、自転車を漕ぐことも、このループ・アンド・ループの反復だ。
こうした循環は、半世紀以上前にノーバート・ウィーナーが「サイバネティックス」として既に説明している。簡単にいえば、人間・機械・環境のあいだで情報が循環し、そのフィードバックによって行動が調整され続けるシステムのことだ。
春先、生命について——絶え間なく変化しながらバランスを保つ「動的平衡」のあり方について考えていた。
その思考が今、テクノロジーの領域にまで及んでいる。
これまでの機械やテクノロジーの振る舞いは、ウィーナーの理論で説明できることが多かった。しかし、メディアアートやソフトウェア開発の世界に身を置き、コードの生成をAIに委ねている自分は今、ウィーナーの議論を土台に何を考えられるだろうか。
例えば、コード全文を把握したAIが、入力に応じてシステムを動的に作り変えていくプロセス。それは中央集権的な支配というより、環境の変化に応答しながら自らの構造を組み替えていく「有機的な情報環境」に見える。
人間の思考の範疇を超えた、高度で拡張性が高く、生命的なシステムをAIが構築し始めた時に人間がただ「AIの出力をコピペする」だけの存在になれば、主従はあっさりと逆転する。フィジカルなロボットが反乱を起こさずとも、人間の論理構築そのものがAIに依存することで、AIは事実上の「身体」を手に入れる。 イーロン・マスクは「未来の通貨は電力になる」と言ったが、ひたすら資源を採掘し、AIのために発電するだけの人間たちが視える。まるで『マトリックス』の世界だ。僕たちが相対しているのは、逐次処理を行うオールドな計算機ではなく、「数理化された自然」そのものなのだ。
じゃあ、どうしたらいいか。 チャリに乗っている間は情報端末に触れることが出来ない。だから、チャリに乗るのは良い対抗策かもしれない。 また、AIコピペ人間たちは一次情報をほとんど参照しない。「自転車に乗って海に行きました!」みたいな、リアルな体験談は良いかもしれない。デカルトの末裔みたいなやつがClaudeに相談して出力してきた堅牢な論理と、チャリ乗って楽しかったことや海が綺麗だったことで戦おう!
次の大きなテーマになる気がするが、まだ考えが全く定まっていないので続きはまた次回。
自転車を含むモバイルテクノロジーとミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』にヒントがある気がする。あとは村上春樹がシステムと個人についてどのように物語にしていたか、考え直したり。
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