「クリティカル・サイクリング展〜このこの大きな空の下、風になる」が終わった。
2日間という短い会期ではあったが、多くの方に足を運んでいただいた。本音を言えば、もう少し長くこの空間を見ていたかったという思いもあるが、いまはこの名残惜しさすらも心地よく感じている。
今回の展示は、クリティカル・サイクリングの活動を俯瞰するアーカイブ作品から、各作家による個性豊かな展示、映像、そして屋外での乗車体験まで多岐にわたった。個々の表現は尖っているが、会場全体には不思議な統一感がある。赤いカーペットが空間を鮮やかに引き締め、構成の妙を感じさせる展示だった。

二つの対話
最終日に行われた赤松正行氏と松井茂氏によるトークイベント「クリティカルなサイクリング」には、大きな刺激を受けた。特に印象深かったのは、松井氏が語っていた「かつては全貌を掴みきれなかった養老天命反転地が、自転車という補助線を通すことでようやく理解できた」という趣旨の話だ。この一言によって、赤松氏という表現者のあり方、ひいては荒川修作という存在の輪郭が、自分の中でようやくしっくりと繋がった。
2月に開催されたIAMASの卒業制作展での赤松氏と松井氏による「最終講義」とあわせて反芻することで、クリティカル・サイクリングというプロジェクトの本質がより鮮明に立ち上がってくる。この二つの対話は、これからも事あるごとに見返すことになるだろう。
制作の「悪癖」と課題
さて、私自身の展示「細い道(接続・反復)1:25000」についても振り返っておきたい。
ほぼ構想通りの構成で臨み、サイズ感も空間にマッチしていたとは思うが、実際に設営してみると客観的な課題が次々と浮き彫りになった。

96mのLANケーブルは、想像していたほどの圧倒的な質量感には至らなかった。PCやケーブル類を収める什器の選定、現場でのメンテナンス性といった実務的な反省も多い。だが、最大の課題は「分かりづらさ」にあった。予備知識のない観客にとって、各要素のつながりは読み取りづらかったはずだ。
私は、制作過程で芽生えた興味を詰め込みすぎ、細部へのこだわり――例えばフレームを壁から浮かせるクランプの使い方や、芯線を固定するドラフティングテープの選択――に固執しすぎた。建築学科出身である私にとって、1/25,000の地図上に芯線を仮留めする作業は、製図という身体的記憶をなぞる行為でもあった。また、クランプを用いた解体可能な構造や、柳行李をイメージしたラワン材の籠による什器は、定住ではなく「移動」のメタファーでもあった。
しかし、そのこだわりが結果として主題を分散させ、何を伝えたいのかを自分でも見えにくくさせていた。これは私のいつもの悪癖だ。
拡張するスケール感
「私が本当に伝えたかったことは何だろうか」
展示を終えて今感じるのは、日々の体感的距離を拡張していくような、あの独特の「スケール感」であった。
日常的に体感している距離の延長線上に、途方もない距離を感じることができれば、物事はより俯瞰して見やすくなるのではないか。今回の反省点である「シンプルに設営できる構造」の追求と、このテーマをさらに研ぎ研ぎ澄ませた「バージョン2」を、いつか私が運営するスペースで発表したいと考えている。
また、設営に時間をかけすぎたことも大きな反省点だ。
前回の記事でも触れたモニターのトラブルも含め、自宅での通しリハーサルが不足していた。初めての場所で「置くだけ」で完結しない展示を行うには、より綿密な準備が不可欠だ。今後は、意図して「シンプルに設営できる構造」を追求していきたい。周囲を手伝う余裕もなく、最後まで自分の作業に追われてしまったことが悔やまれる。
終わり、そして実践へ
展示が終わり、昨年4月から毎月のように重ねてきた打ち合わせがなくなったことに、ふと寂しさを覚える。
だが、展示は終わっても、活動が終わるわけではない。
クリティカル・サイクリングを立ち上げた赤松さんをはじめ、尽力してくださった瀬川さん、門田さん、志村さん。サポートしてくれた作家や学生の皆さん、そして何より傍で支えてくれた妻に感謝したい。
これからも、僕なりの「クリティカルなサイクリング」を実践していこうと思う。