動的平衡

闇の中でじっと息を潜めて夜明けを待つように。桜が開花する様子を眺めて春の訪れを知るように。タイムラインをスワイプ。喜びも悲しみも湧き上がり、いつか消えていく。葉脈を伝う露のように、世界も感情も移ろう。

流転——万物は絶えず流れ、移り変わる。固定されたものは何もなく、全ては変化の只中にある。しかもその変化は、儚く、美しい。 こうした有機的なダイナミズムに僕は感動している。繰り返す。巨大な関数の実行が脈々と再帰する。宇宙の理(ことわり)は日常の中にたくさん存在していて、人生の僅かな時間だけでは見聞きできないくらい芳醇だと思う。言葉にしてみると何だか陳腐だが、例えばツァラトゥストラなら何を思うだろう?

前回の記事で、車輪が古くから「永遠」や「循環」の象徴として扱われてきたことを書いた。

即ち、世界の躍動は例えば自転車の車輪、あるいはペダルの回転に喩えることができる。 回転は「自転車」という一つの物体の中で相互に接続し、そのエネルギーの結実によって風を割いて前へ進む。 因果だ。自転車もまた周囲の環境や重力、引力と繋がっていて、昨日漕いだペダルに込めた力の、その波動がブラジルに雨を降らせたかもしれない。戦地のドローンと触れ合ったかもしれない。ホーチミンの排ガスと混ざり合ったかもしれない。僕はただ、それを見ている。

こうした森羅万象が有難い。古今東西の宗教の経典には何て書いてあるだろう。Bob Dylanは何を歌っていたっけ?

まさにセンセーション!と、付き合っていく問いを探している。生物学者の福岡伸一が著書内で度々言及する「動的平衡」に関心を持ち、彼の著書を何作か読んだ。

秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可避的に進み、その秩序はやがて失われていく。ここで私が言う「秩序」は「美」あるいは「システム」と言い換えてもよい。すべては、摩耗し、酸化し、ミスが蓄積し、やがて障害が起こる。つまりエントロピーは常に増大するのである。生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまりそれが「動的平衡」である。

福岡伸一「動的平衡」P276

「自転車操業的」と、自転車という言葉が登場するのが面白い。 なるほど、自転車は、止まれば倒れる。 重力という絶対によるエントロピーの増大に抗うためには、絶えずペダルを回し、前へ進み続けなければならない。乗り手は無意識のうちに重心をずらし、ハンドルを微調整し、路面の起伏や風向きという「外部の不確実性」と交信しながらバランスを取る。完全に静止した安定など存在せず、常に崩れゆく姿勢をその都度立て直す連続のなかにだけ前進がある。自らの身体で意図的なゆらぎを作り出し、世界と相互作用しながら最適解を探り続けるこの営みは、「動的平衡」の体現ではないだろうか。

「動的平衡」とは、言い換えれば「不確実性への絶え間ない応答」でもあると思う。それは、あらかじめ決められた制度や規範、あるいは心地よい予定調和とは明確に対立するものだ。我々の日常は、宇宙規模で自然に流転するダイナミクスの中に確かにある。

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