情報科学芸術大学院大学(IAMAS)のプロジェクト実習「運動体設計」の一環として、2023度はダーク・ツーリング(Dark Touring)、2024年度はサイクリング・エッジ(Cycling Edge)と銘打って活動を行ってきた。これは授業という狭い範囲にとどまらず、クリティカル・サイクリング、すなわち筆者の自転車関連の制作や研究の年度ごとの切り口でもあった。
具体的にはダーク・ツーリングでは自転車で負の遺産を巡り、サイクリング・エッジでは自転車で日常の境界へ挑もうとした。いずれも何らかの特異な状況への取り組みであり、そこから社会的あるいは文化的な意義を見出すことを目指した。それは少なからず意義があったと思うものの、主客逆転する危険性もあった。つまり、特異な状況が目的なりかねないわけだ。
そのような一抹の危惧を覚えていた時に、一冊の書籍に衝撃を受けた。ジョディ・ローゼンの「自転車 人類を変えた発明の200年」だ。そのプロローグからして素晴らしい。宇宙を旅する自転車が描かれた1890年代の広告ポスターから考察が始まる。「自転車に乗ることはこの世のものとは思えない快感」であり、「重力の軛から解き放たれ、大地から旅立つ」ことになる、と。
それは筆者にとって自転車の初期体験に他ならない。小学校低学年の頃、父親の補助を離れて一人で初めて自転車に乗れたのは、すでに夕闇に包まれた公園だった。その時の弾丸になったかのような疾走感を強く覚えている。あるいは高校生だった頃。すでに真っ暗になった河川敷の自転車道を一条のライトを頼りに家路を急ぐ。これもまた宇宙を切り進むかのようだった。
やがて大学生になり社会人になると、自転車に乗らなくなる。移動はもっぱら電車やクルマだ。そんな生活が何年も続いた後、とあるきっかけでロード・バイクに乗るようになる。最初は苦労したものの、すぐに自転車の楽しさに夢中になる。子供の頃に感じた爽快感を思い出したわけだ。そして自転車に乗ることが、多種多様な事象に繋がることに気づいていく。
こうして始めたのがクリティカル・サイクリングだ。その最初期の記事では「批評するために自転車に乗るのではない。自転車に乗ることが何らかの批評に繋がることを後天的に発見するのだ」としている。これが主客の原則であり、転倒する危険性をも予兆していた。そう、あくまで自転車が主役だ。特異な状況に対しても、徒歩でもクルマでもなく、自転車だからこそ感じ取る何かに注目したい。
そして、なぜ自転車に乗るのかと言えば自転車が心地良いからに他ならない。フロイトの言う快楽原則(プレジャー・プリンシプル、Pleasure Principle)だ。これこそが出発点であり、大事にしなければならない大原則だ。一方で現実の世界には困難が山ほどあり、日々苦労させられている。その折り合いをつけるのが現実原則であり、制約に立ち向かう原動力が快楽原則に他ならない。
そこで、これからの一年間は快楽原則に注目しながら自転車に乗り、自転車に乗ることで導かれる事象を見つめたい。初心にかえることであり、自身の探究の再強化に繋がることを期待している。とは言え、ここで力が入り過ぎると、これまた主客転倒になりかねない。サドルに跨り、ハンドルを握り、ペダルを漕ぐ。それで十分だ。自転車に乗ることは楽しみであり、シンプルであり、発見的なのだから。
