Cycling Edge 36: 八丈島

絶海の孤島、青ヶ島の前後は八丈島に滞在していた。この島は羽田から1時間弱で気軽に訪れることができる。廃墟を含めてホテルやペンションがいくつかあり、夏場は海水浴やダイビングなどを楽しむ観光客で賑わうそうだ。しかし、今は2月上旬の閑散期。しかも飛行機も船も欠航する悪天候。強風に雪と雹が降り、南国とは思えない。地元の人もこんなに寒い日は初めてと言う。

八丈島に到着した日は自転車シェアリングを利用する。お馴染みの赤い自転車がホテルの近くにあったからだ。八丈島の道は起伏が多いので、電動アシストがありがたい。これで中心地のカフェに行こうとして、ポートに空きがない。返却できない。仕方なく、そのまま町を一周して周辺を散策して宿に戻る。その後何度もアプリで確認しても空きは生じない。実証実験とは言え、再配置の手抜きが残念。

青ヶ島から戻った頃には寒さも和らいで陽がさすようになる。ここからはクロス・バイク型の電動アシスト自転車をレンタル。道路の整備は良く、路面は稀に荒れている程度で快適に走ることができる。一部ながら、自転車レーンや自転車道もある。時節柄か交通量は少なく、運転マナーが良いと感じた。しかも、盗難や悪戯はないから、自転車に鍵はないと言う。なんとも牧歌的で嬉しくなる。

さて、八丈島はふたつの火山が合わさった地形で、その裾野を八丈一周道路が巡っている。約45kmながら、半日で回るのは辛いかもしれない。特に南東部の三原山の周回道路はタフなアップダウンが続く。なかでも東部はつづら折りの難所で、人家もなく携帯電波も途切れる。左右に草木が茂る山道で、時折りは視界が開けて海が見える。随分と高いところを走っていることが分かる。

南部には集落があり、海岸まで降りる道もある。温泉が数カ所もあり、露天風呂や足湯につかりながら、ホエール・ウォッチングに興じる。ある時は待てど暮らせど現れなかったものの、次の機会には肉眼でもはっきりとブロー(潮吹き)を見て取れた。望遠鏡なら尾びれを見せて海中に戻るフルークの様子まで分かる。島全体では一日に数回はクジラに遭遇するそうだ。

北西部の八丈富士の周回道路は起伏が少なく、折れ曲がりもないので距離は短い。南西部で苦労したせいか、あっけないほど短時間で回った印象だ。道路は海岸近くが多いので、海の広がりを感じながら走ることができる。近くの八丈小島や遠くの御蔵島や三宅島も見える。ただし、北西からの風が強いのが辛い。山が遮ることもなく、常に吹きさらしで、追い風になる箇所は少ない。

八丈富士は7合目まで道路が整備されている。斜度もきつくないので、電動アシストなら苦労せずに自転車で上って行ける。南東側なら風も弱い。7合目からは登山道を登り、噴火口のお鉢巡りも可能。だが、徒歩は遠慮して、その代わりに環状道路を回る。風は強いものの絶景を周回できる。途中の牧場も和やかで楽しい。下りは北西側。こちらは風が強いこともあって、ブレーキをかけてゆっくりと下る。

このように八丈島での自転車ライドは随分と楽しめた。観光客らしい人たちも電動アシストのママチャリでのんびり走っている。しかも上り坂が続く険しい場所にすら来ている。一方で、島の人はほとんど自転車に乗らないそうだ。強風や起伏ゆえに自転車に乗る発想や習慣がないのだろう。しかし、電動アシストなら何の問題もない。道路に余裕がない島こそ自転車が相応しいと思う。

ところで、鳥も通わぬ八丈島は流刑の地であっただけでなく、太平洋戦争では本土の防衛拠点として軍事基地が構えられていた。兵士が20,000人も駐留する一方で、島民の大半は疎開して2,700人ほどしか残らなかったことからも、島が要塞化されていたことが伺える。戦争遺構もいくつか残っており、人間魚雷「回天」の基地跡である洞窟は整備されており、底土海水浴場からも歩いていける。

だが、洞輪沢漁港近くの特攻艇「震洋」の地下壕には近づけなかった。およその見当はついたものの、生い茂る草木の前は土嚢やロープで立入禁止となっていたからだ。他にも三原山山中の陸軍司令部壕跡など数多くの遺構があるらしい(調査レポート)。ただし、観光協会で尋ねても教えられないとの一点張り。破棄されたまま整備されておらず、安全が保障できないからだと言う。

ここでもう一度「日本の国境に行こう!!」を思い出そう。内閣府の狙いは観光振興だけではないはずだ。離島とは言わず、国境と銘打っているのだから、領土意識が根底にあるのは明白だろう。それならば、小綺麗なWEBサイトの閉鎖後は、戦争遺構を保全整備するとともに広く公開と広報をして欲しい。それでこそエッジ(国境)へのダーク・ツーリングとして意義深くなるはずだ。

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