近年、日本各地の鉄道の駅でも多国語表示が進んでいる。このあいだ、JR大阪駅で案内表示に「月台」という単語が掲げられているのを目にした。「月台」とは、中国語・台湾語で鉄道のプラットフォームのことを指す言葉である。しかし、私はこの言葉が詩的情景を含んでいるように思えた。鉄道の乗降をする台が、夜空にある月のための台であるとは、その心はいかなることか。そこで、この語のもともとの意味をたどることにした。
「月台」は、もともと建物から突き出した屋根のない台であり、そこに立って夜空を仰ぎ、月を眺めるための場であったという。そしてその形は、近代の鉄道に用いられる列車の停留や乗客の乗降のために設けられたプラットフォームと類似している、ということのようである。

古代中国において、月台から月を見ていた詩情を書き残しているのは中国の詩人たちである。ここは中国の歴史上の古典詩人にその元々を辿ってみるべきだろう。

詩人・杜甫が「月台」を用いていないかと手元の詩集を開く。いくつかの詩に月を題材にしたものが見つかる。月をみて感じる家族への想い、あるいは成都に向かう旅の途中で見る月の様子。また、祭りに行くと酒を飲んでいるおやじが話しかけてきて、月が出てきたなと思ったが泥酔おやじに「お前、まだ飲みが足らんのとちがうか」と絡まれて月を見るどころではなかったという出来事、などであった。
どうも自力では月台の出どころを掴みきることができない。
そこでChatGPTに聞いてみた。
ご質問の杜甫の詩で「月台」という単語が含まれるものは、『徐九少尹見過』です。この詩の第五句に「賞静憐雲竹,忘帰歩月台」とあり、「静けさを楽しみ、雲のような竹を愛で、帰るのを忘れて月台を歩く」という意味です。ここでの「月台」は、月見のための高台を指します。現代中国語で「月台」は駅のプラットフォームを意味しますが、杜甫の時代にはそのような意味はありませんでした。
『徐九少尹見過』は、杜甫が晩年に徐州の九少尹(官職名)と出会った際の詩で、以下のような内容です:
晚景孤村僻,行軍数騎来。
交新徒有喜,礼厚愧无才。
赏静怜云竹,忘归步月台。
何当看花蕊,欲发照江梅。
(訳) 夕暮れの寂しい村に、数騎の兵がやって来る。 新たな交わりに喜びを感じるが、厚い礼遇に才能の無さを恥じる。 静けさを楽しみ、雲のような竹を愛で、帰るのを忘れて月台を歩く。 いつになれば花の蕾が開き、江辺の梅を照らすのだろうか。
この詩は、杜甫が晩年に友人との交流や自然の美しさを楽しむ様子を描いています。「月台」は、月見や景色を楽しむための高台を指し、現代の駅のプラットフォームの意味とは異なります。
ChatGPT 4oにて生成
静寂の中で竹のゆらぎを愛で、月を仰ぎながら台の上を歩く情景。月台とは、ただの構造物ではなく、そこに立つ者の時間の流れを変え、周囲の風景を移ろわせる場でもあったのだろうか。
さて、この「月台」の概念を、自転車のプラットフォームでもあるHangarに重ね合わせてみると、どうなるだろうか。
Hangarは、自転車で移動しているものにとっては駐輪場であり、停泊をする場である。しかし、「月台」を中心に考え、視点を逆転してみるとする。そこに集まる自転車は、まるで空の月や星のように、日々形や状態を変え、種類を変えながら巡ってくる。Hangarに立つ者は、自転車という「月」の満ち欠けを眺めることになる。
自転車の満ち欠けは、タイヤの空気圧は下がっていないか、ライトの充電量は十分か、チェーンが伸びていないか、適切にチェーンはオイルに覆われているか、フレームが汚れてきてはいないか、ブレーキの動作に問題はないか、など、月齢よりもはるかに多くの点検項目というかたちで、想起することができるだろう。
家では建物の外、屋根のない場所に自転車が停められていることもあるだろう。その自転車格納場所は、その家屋にとっての月台のような場所にもなっているかもしれない。夜、家に帰り着いて自転車を停めたとき、空に出ている月の形を見てみることはないだろうか。
自転車駐輪場では、自転車を停めれば皆、いそいそとその場を離れて行くことが多い。しかしそこで、竹のゆらぎを愛でるように、まわりに停められた自転車を眺めて過ごすような時間はないだろうか。鉄道のプラットフォームである駅、空港のプラットフォームである空港、船のプラットフォームである港の突堤、いずれもただそこで時間を過ごしているという情景は、成立するのではないだろうか。自転車だけはそれが出来ない謂れはあるだろうか。
駅の月台が、列車の往来を支えながら、乗降する人々の時間をつなぐ場であるように、Hangarもまた、自転車の出入りを通じて、人と住居、人と都市を、人と駅とを接続する場となる。そして、それは単なる駐輪場ではなく、日々異なる風景を生み出し続ける「月台」としての場なのかもしれない。
