「夜騎開封」について考える

中国の鄭州市で「夜騎開封」と呼ばれるシェアサイクルによる夜間サイクリングが流行していた。

2024年6月に鄭州市の大学生が小籠包を食べるために自転車で約50km離れた開封市まで走る様子がSNSで流行った(バズった)ことをきっかけに、若者たちが夜間に自転車に乗るようになり、最大20万人も集まったという。

ブームのきっかけとなった大学生たちの自転車に乗って夜の街を駆けた動機が、大学の授業後に、小籠包を食べるためだけに自転車でサイクリングしたというから、これはもう青春だ。バスの時刻表の関係でその日長距離バスに乗ることが出来なかったり、高速鉄道の運賃が高いことを考慮して、自転車を移動手段として選択したらしい。安価で気軽に乗れる乗り物として自転車の特性が際立つ。

鄭州-開封間の夜間サイクリングがSNSでブームになってからしばらくの間、毎週末、若者たちが正開大道を東に向かって夜または早朝に開封まで行って小籠包を味わい、その後バスまたは高速鉄道で鄭州に戻るという活動が徐々に発展していった。当初、開封市当局はこの賑わいを歓迎し、観光地を無料開放したり、露店の出店を承認したが、道路交通の大幅な混雑や学生運動への発展が懸念され、徐々に規制に傾いていったという。

思うにサッカーや野球の試合がそうであるように、一箇所に沢山の人が集まるスポーツイベントは、日常の中のささやかな祝祭であり、時に爆発的なエネルギーを生む。現在、中国国内における過去の政治的な背景を踏まえて当局が規制に踏み切ったことによって、シェアサイクルのサービスは貸し出しに規制が成され、大学生たちの移動に制限がかかった。違反した際には罰則があるという。残念なことだ。

考えてみると「夜騎開封」は多くの示唆を残してくれたブームだったように、筆者に目には映った。

先ず交通ルールはどこまで遵守されるべきかという点だ。

大量の自転車が道を走れば当然渋滞が生まれ、交通は混乱するだろう。混乱すれば流通は滞り、緊急車両の到着は遅れる。それは集まった人々個人個人の自転車に乗る自由とどう折り合いをつけられるだろうか。自転車は基本的に一人乗りの乗り物であり、集団は個の塊だ。即ち自動車以上に小回りが効く沢山の人たちが縦横無尽に道々を移動する姿が想像出来る。公共の秩序と個人の自由の尊重について議論が出来る稀有な例だと思う。

もちろんのこうした問いに答えはなく、古代ギリシャではプラトンが著作『国家』で、個人の利益よりも共同体の利益を優先する理想的な社会モデルを描いたのに対して、アリストテレスは『政治学』において、個人の幸福が共同体の幸福と調和するような政治体制を模索した。時代が飛んで近代においても、ホッブズやロック、ルソーなどが著作に考えをまとめているが、現代においてもその答えは出ない。

もっとミクロな視点において考えると、公共空間における自転車の権利をどう考えるかという問いに接続する。歩道から追いやられ、車道の隅っこを走る自転車は、「夜騎開封」への規制が縮小した構図であるようにも思える。

次にSNSによるバズとシェアサイクルの相関性である。

SNSを見るためのスマートフォンなどのデバイスとシェアサイクルは双方共に移動が伴うアイテムであり、分散と集積を繰り返す特徴を持っている。もし自分が鄭州に住む若者だったら、SNSでそれを見つけた時に、URLをWeChatで地元の友人らに送り、暇なヤツらを全員集めてサイクリングをする様子が目に浮かぶ。前述の通り、人の集まりは熱量の源で、その矛先が政治批判に繋がることを中国という国家は警戒したのだろう。「夜騎開封」は匿名で且つ個人を特定しにくい存在ではあるが、お祭りごとに参加を望む都市で暮らす若者のアイデンティティの象徴とも捉えられるし、閉鎖的な政治体制がいずれ変化していく起爆剤となっていくのかもしれない。

「大学生たちがいました。放課後、思い立って、夜、自転車で約50km走って小籠包を食べに行きました」
何ともノスタルジーを掻き立てるストーリーラインだ。「夜騎開封」ブームの熱狂を作ったのは、身に覚えがあるような小さな物語で、大人になった今はそういう時間が期限付きであることをよく知っている。それが可笑しい。


参考 : 夜騎開封

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