『Bicycle Club』誌460号の特集「街と自転車」に寄稿しました(小俣雄風太さんとの対談も)

1985年の創刊から40周年を迎えた自転車雑誌『Bicycle Club』の最新号(460号、1月20日発売)は「街と自転車」が特集。一年前に編著書『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』を出したこともあり、この特集のうちの6ページ「世界と比べても注目を浴びる国 日本の街の自転車文化」の執筆依頼を頂いた。『旅するツール・ド・フランス』の著者である小俣雄風太さんとの対談も、レースと生活利用という自転車文化の両極をつなぐ、刺激的で学びの深いものとなった。ここでは両記事をチラ見せする感じで紹介したい。

『Bicycle Club』460号の表紙。京都の老舗「辻森商会」の店頭風景に一言「街と自転車」という思い切ったシンプルさ。

「日本の街の自転車文化」(Chapter 6)

日本にはワールドクラスの自転車都市がゴロゴロあるのだ。けれど、日常に溶け込んだその文化の価値は、趣味やスポーツと違ってわざわざ話題にされることも少なく、国内では長らく見過ごされてきた。

 世界は今、自転車ルネサンス=文化再興の時を迎えている。逆に言えば、日常的な自転車利用の文化は消えかかっていたのだ。
 「サイクリング」やこれに近い意味での「自転車」が愛好者の間で盛り上がっていることと、広い意味でのcycling culture=自転車文化が(意識されないくらい)生活に根付いていることはイコールではない。

記事本文より

自転車が好きな方々に向け、まず伝えたかったのがこの点だ。日本の街ではごく当たり前の、ゆえにほとんど話題にもならない生活自転車文化。欧米の多くの街はそれをいったん失いかけ、そして取り戻そうと奮闘している。記事ではアメリカの例を中心に、20世紀半ば以降の文化衰退と21世紀のルネサンス=文化再興を概観する。完璧なユーザーをつくりだそうとする北米式から、完璧なシステムを目指すオランダ式へ。ルネサンス諸都市でも急速に進行する自転車インフラの整備において、日本が大きく後れをとっている現状にも触れる。

担当記事冒頭レイアウト(部分)

『ウォーカブル・シティ』の著者ジェフ・スペックは、「自転車都市とは私たちみなが必要としている都市」であり、「自転車利用推進の立場からの要望を全て実践し、その結果あらゆる人にとってよりよい場所にならなかった都市など見たことがない」と述べている。

記事本文より

記事の終盤では、ウォーカブル・シティ推進の第一人者として知られるジェフ・スペックの言葉を引きながら、「自転車好きとしてできること」を論じている。自覚的な「自転車好き」は、自転車文化全般を支え伸ばしていくための声を上げる主体として、とても重要な存在だ。

小俣雄風太さんとの対談(Chapter 7)

今回の企画では、サイクリングジャーナリストの小俣雄風太さんと自転車文化について語り合う機会も設けて頂いた。小俣さんは『旅するツール・ド・フランス』(太田出版、2024年)の著者で、サイクリングニュースレターArenbergの発行やイベントMC・実況などでも活躍されている。哲学科の出身ということもあり、事象に対する洞察が深く、対談を通じて多くの大切な学びがあった。

対談の様子。フォトグラファー:Masaru Furuya

小俣さんとの対談がなければ、直前に置かれた自分の担当記事の持つ意味は半減していたと思う。どうしても概論的・教科書的にならざるをえない内容を、小俣さんはレース取材の現場で得た経験や知識に照らしながら、率直かつ丁寧に掘り下げ、広げてくださった。第二次世界大戦の頃にかけて欧州各国が造形していったナショナルアイデンティティと自転車文化の差(オランダやデンマークは日常利用、フランスやイタリアはレース)の話などは、自転車好きに向けた媒体だからこそ実感を伴って伝わるのではないかと期待している。

対談前、小俣さんとフォトグラファーの古谷勝さんと三人で吉祥寺の街と井の頭公園を散歩したのも楽しかった。一緒に自転車都市を見つめる練習をしているようなあの時間は、公園で話に出たバードウォッチングの練習にも重なる。図鑑などに書かれた鳥の鳴き声について「そこに書かれた文字列の通りにしか聴けなくなってしまうのが嫌」(大意)と小俣さんが語っていたのが印象に残っている。それぞれの声にじっくり耳を傾けること。自転車文化をこれからも生かし育んでいくための土台となるものは、そんなところにあるような気がする。

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