蒜山高原の戦争遺構を自転車で回った翌日は、森の芸術祭に出かけた。いわゆる地方芸術祭のひとつで、岡山県北部の数ヶ所をエリアとして、今年初めて開催されるそうだ。丘陵地を取り囲んで緑の森と山々が連なる。晴れの国らしい快晴に心が躍る。ちなみに前日にも蒜山ミュージアムでの展示を見ていた。ただ、これは文字通り美術館であって「森」ではなかった。
昨日に引き続き自転車を積んだバンで移動し、まずは奈義町エリアへ。ここは道を隔てて2つの建物が会場なので歩いて回る。次に津山市に移動。ここはいくつかの会場が点在しているので、自転車が活躍する。山間部ではあっても市街地は平坦であり、舗装道路の路面が良いので走り易い。自転車レーンはないものの、交通量が少ないので危険を感じることはない。いかにも地方小都市らしい走行環境だ。
会場から会場へと移動するためにGoogleのマイマップが提供されている。これは素晴らしいと思ったのも束の間、飲食店や宿など数多くのマークに埋もれて会場が判別できない。しかも会場のマークは薄く、作家や作品の情報はない。種類ごとに表示を設定するのも面倒。会場と周辺情報の2種類のマップを提供すべきだろう。ガイドブックはあるものの、印刷用のPDFを見ながら自転車で走るのは辛すぎる。
芸術祭のサイトにはレンタル自転車のリストが掲載されている。確かに津山エリアは会場が点在していて、自転車で回るのにちょうど良い。他のエリアは必ずしも自転車に適していなかったり、エリア間の移動に自転車が想定されていなかったりする。それでも自転車を利用して周辺を回れば、地域の様相に触れることができる。それこそ地域芸術祭に期待されていることだろう。
やがて夕暮れになって気がついた。いずれの会場も「森」ではない。そこで少し離れた奥津渓に向かった。翌日には満奇洞や井倉洞を訪れた。これらは森に近いものの、正確には渓谷であり、洞窟であって森ではない。このことは正しくコンセプトにも謳われており、一言も森の中で行うとは書かれていない。つまり、筆者が勝手に「森の中の芸術祭」と解釈していたわけだ。
本芸術祭は、その「森」がもたらす「恵み」を芸術の力で未来に向けて活性化することを目的とし、「本当に必要な資本とは何か?」を問いかけます。
森の芸術祭とは コンセプト
ただ、実際には森の中で開催される芸術祭は少なからずある。この芸術祭でも人工空間を超えて森を希求する参加作品が多かった。だが、それらも本当の自然環境では永続できない。事実、11月2日には低気圧の影響で全エリアが休止し、一部は再開の見込みが立っていない。図らずもアートの、ひいては、人為のエッジ(限界)が露呈している。それを再認識する良い機会になった。
One comment