10月中ばに岡山県の蒜山高原に出かけた。自然豊かな観光地で、3年前は整備されたサイクリング・ロードを最新のレンタル自転車で快走して高原リゾート気分を満喫した。一方、今回は目的が異なっていた。のどかで美しい風景とは裏腹に、かつては日本陸軍最大規模の射爆演習場があったと聞いたからだ。その戦争遺構は今でも残っているとのことなので、実際に自転車で巡ることにした。
同行者2名とともに自転車を載せたバンで蒜山高原に到着。最少催行人数の10人に満たないためガイド・ツアーは申し込めなかったものの、蒜山郷土博物館でパンフレットをいただく。その際にお聞きした話では、戦争遺構は点在しており、それほど広いエリアではないので自転車で回れるだろう、とのこと。いくつかは茂った草に覆われるなどして見つけにくいらしい。
白い雲が浮かぶ青空のもと、バンから降ろした自転車で走り出す。高原らしい冷たい空気が心地良い。以前も走った快適な自転車道を離れて丘陵地帯を駆け抜けていく。概して走り易いものの、荒れた舗装道もあれば、上り坂が続く箇所もある。筆者は電動アシスト自転車なので造作もない。広大な高原と遠くの山々が織りなす雄大な風景に心が躍る。
肝心の戦争遺構はマップを頼りに探し当てなければならない。比較的分かり易かったトーチカも、予備知識がなければ草が茂った岩としか思えない。監的哨があるであろうあたりは背の高い草が覆われていて近づくことも難しかった。何年かのうちにパンフレットの写真とは様相が異なっている。また、地下壕はガイド・ツアーでなければ入れないのが残念であった。
いくつかの遺構が集まっている八束廠舎跡地では、それらを探し当てることができないでいた。通りかかった人や農作業をしている人に尋ねたものの、誰もが詳しいことを知らない。終戦の1945年に生まれた人でも現在は80歳近いので、当時のことを知る人が少ないのも当然かもしれない。探しあてた記念碑は所在なげで、草に埋もれかけた門柱は気付かずに通り過ぎていた。
このように蒜山高原の戦争遺構は消滅する寸前と言っても良い状況だった。パンフレットやガイド・ツアーによって過去を語り継ぐ努力がなされているとは言え、単純に観光としては物足りないことは間違いない。一方で、隣町には陸上自衛隊の日光演習場や日本原演習場がある。大山や蒜山などの山裾の広大な原野は軍事施設に適しているのだろう。
ところで、蒜山高原のランドマークとも言えるパビリオン風の葉は、壮麗だった3年前とは打って変わって、ご自慢のCLT(直交集成板)が随分と荒廃している。そもそもパビリオンとは仮設の建築物だから、消滅することこそが相応しい。すでに霧散した軍事演習場の施設の、姿を変えた幻影かもしれない。こうして存在と記憶のエッジ(境界)が入り混じり、色褪せていくようだった。