京都市街地の北に位置する花背峠は、京都の自転車愛好家たちによく親しまれている峠道である。この道の古い歴史では、日本海から京都へと魚を運ぶのに使われたという通称「鯖街道」として、人々が行き交う道でもあった。
一般にはこの峠を境として北側が花背と呼ばれる地域であり、川が流れ、水田や木々が広がる農業地帯である。今年の6月と8月とに自転車で花背峠を行き来して、7月に行われた祇園祭のための祭具を自転車で運んだ。
その祭具は、花背で作られている注連縄である。日本の祭礼や神社などの境内においてよく目にする注連縄は、神霊の在る神域と人間の世を区分けするための境界線を示す。故に、しめ縄と呼ぶ。境界線にはこちら側と、あちら側があり、注連縄はそのどちらかが越境をしないように防ぐという意味合いもある。
平安時代以来の京都の夏の都市祭礼・祇園祭は、流行する疫病や自然災害を免れるための儀式として執り行われてきた。現在においても祇園祭が行われる毎年7月は、極めて高い気温、大雨による様々な災害、それらによって健康や日々の生活が脅かされる。
祭礼で行われることは儀式性が高いものであり、儀式そのものに疫病除けに対する有効性があるかどうかはわからない。公衆衛生の観点から言えば、むしろ効果はないどころか、人が密集するような行事は感染症を拡大させてしまう可能性もある。故に、COVID-19によって祇園祭の主要行事は2年間にわたって中止や縮小を余儀なくされた。
そもそも儀式は通過するものである。何をするかだけではなく、準備をし、滞りなく進め、終われば後片付けをしてしまう。ただそれを経ることに重要な意味がある。
花背峠を自転車で登る、そのようなことにも儀式性は含まれているのではないか。アスリートやトレーニング志向の自転車愛好家が、タイム計測やヒルクライムを目的として自転車を走らせることも、言ってみれば自身の能力と限界とを線引きしながら「こちら」と「あちら」を向き合わせているようなものかもしれない。すべからく、己との勝負とはそういうものである。
注連縄を張ることで、人は何と対峙しようとしているのか。助けを請いたい神様との間に、なぜ境界線を引くのか。それは、病気などの魔を祓う力を持った神々は、人助けをしにやってくるわけではないからである。効能は欲しいが、危害は御免被りたい。そのような虫のいい考えの象徴が注連縄でもある。
花背の注連縄を、峠を超えて京都の町へと持ち込むことも、それ自体が儀式となってもよい。花背は結構な峠である。登って下って、いくら藁で出来た軽いものであるとはいえ、ぞんざいに扱うわけにはいかない注連縄を担いで背負って、また登って下る。儀式として通過するには頑張っている部類であろう。
もともと、祇園祭にそんな儀式はない。一介の自転車乗りが勝手に始めた祭具の輸送である。それでも、面白そうだと同道する自転車乗りが少なからず現れた。別段、儀式に興味があったわけではなく、ただ単に花背峠を走りたかっただけかもしれない。しかし、それは十分儀式に参加する資格を得ている。
来年はまた「注連縄を運ぶ儀式」への参加者が現れるかもしれない。これっきりになるかもしれない。ただ、伝統を重んじる祭礼は一方で、新たな試みを常に取り入れることとも向き合っており、それらは表裏一体である。続けるのか続けないのか、この境界線を見極めることもまた儀式の一環なのだ。