自分史上もっとも暑かった夏が終わりそうで終わらない9月末の朝、自転車に乗ってゴミ拾いをした。そのためにスーパー・マーケットの買い物カゴにゴミ袋を入れ、養生テープで留める。カゴの取っ手をBromptonのハンドルに通し、荷台用のゴム紐で固定する。これで長めのトングを入れればゴミ収集車の完成。同行した知人はフード・デリバリー用の巨大バックにゴミ袋を入れて背負う。
準備が整えば、市街地中心部を出発。まずは小さな川沿いの道を南下。観光スポットが点在するだけあって、川も道路も整備されており、生垣が美しい。自転車をゆっくりと走らせ、安全に気をつけながら、路上のゴミを探す。頻繁に清掃されているのだろう、ゴミは皆無ではないものの、ほとんど目立たない。いささか拍子抜けしながら、公園やカフェを通り過ぎてゆく。
観光エリアを抜けて住宅地に入ると様相は一変する。同じ川沿いながら、道端にはゴミが点々としている。もはや自転車に乗っていられないほどゴミが多い。自転車にまたがったまま何度もトングを伸ばすのは姿勢が辛い。仕方なく自転車を降りて押し歩きながらゴミを拾う。これはゴミ拾いウォーキングの方が良かったかもとの思いが脳裏をかすめる。
わずか数百メートルの間に多くのゴミが落ちていた。燃えるゴミは買い物カゴに、ペットボトルなど資源ゴミはデリバリー・バッグへと分別収集。特にタバコの吸い殻が多く、ものが小さいのでトングで拾うにも少し苦労する。他にもタバコの空き箱、菓子袋、マスク、ティッシュ、ビニール袋などもある。いずれも生体痕跡があるだろうから、DNA解析して犯人を炙り出したくなる。
住宅地を抜けて草木が道端に生い茂る郊外となると、ゴミはほとんどなくなる。そもそも人が歩いていないのだろう。ところが、工場の脇では再びタバコの吸い殻が多くなり、ホーム・センターの近くでは飲食物の容器や紙屑などが溢れている。そう、ゴミは自然に発生するのでなく、心ない人の行為であり、地域の民度の表れに他ならない。捨てるのは一瞬でも拾うのは手間がかかる。捨てた人に伝えたい。
日が高くなり、気温が上がり、ひどく汗ばむ。軽装だったので顔や首、腕が陽に焼ける。ゴミ拾いの集中度が途切れがちになりながら、やがて最終目的地のクリーン・センターへ到着。ビンやカンなどの資源ゴミは種別ごとの箱にそのまま入れることができる。一方、燃えるゴミは申込書を書き、料金を支払い、搬入前と搬入後の車両重量を計らなければならない。
トラックが乗る巨大計量器には無視され、焼却炉へ続く急傾斜の回廊をヒルクライム。巨大な鉄扉が並ぶゴミ投入場は、エイリアンやターミネータにも似て迫力満点。薄暗く空気が澱み、すえた匂いが充満している。ゴミ投入口の数メートル下にはゴミが積み重なっている。ここにダイブする悪夢がちらつく。ゴミ袋を投げ込めば優美な放物線を描いて落下。決め台詞は「Hasta la vista, Baby!」(ちょっと違う)
今回のゴミ拾いは多くの示唆があった。街や道路に蔓延する幾多のゴミは想像以上で、これまで無意識に無視していたに違いない。その量の多さと拾い集める困難さは筆舌し難い。次は本格的なゴミ拾いサイクリングも実施したい。いや、日頃からビニール袋をポケットに忍ばせるておくだけでも良いだろう。少しずつでも、より良い社会や環境のエッジ(境界)を拡げることができるだろうか。