モビル文学(6) なんだ、これは!

地元川崎の先輩、岡本太郎はこう言った。

1「芸術ってのは判断を超えて、『なんだ、これは!』というものだけが本物なんだ」

筆者が所属するIAMAS(情報科学芸術大学院大学)の修士研究として「モビル文学」の制作を始め、半年が経った。少しずつアウトプットの練度が上がってきた実感があるものの、自転車に乗りながら小説を読むという学校の不良債権代表のような取り組みを自身の言葉で語ることが中々出来ず『なんだ、これは・・・』と頭を抱えてばかりいる。

今回の連載ではモビル文学が過去の歴史の中に存在したどういったものの影響下にあり、なぜ成立したのか改めて整理していきたいと思う。最終的に修士論文にまとめていく形になるが、その前段階として現在考えていることを徒然なるままに書いていく。

レジブルシティを現実世界でやったらどうなる?

レジブルシティ

メディアアートの古典であるジェフリー・ショーのレジブルシティ(1988-1991)はスクリーンに投影されたアルファベットで構成されている架空都市の中を自転車のペダルを漕ぐことによって移動を行うインタラクティブ作品である。アーカイブ映像でしか見た事がなかったものの、筆者は日常的に自転車に乗ったり小説を書くことから自分の興味と近しい気がして、兼ねてから惹かれていた作品であった。

「これ、現実世界でやったらどうなるのだろう。何なら自転車で移動しながら小説を読めたら面白いな」と、ふとした思い付きからスタートした研究は、自転車の移動性(=モビリティ)の切り口から持ち運ぶことを前提として製品開発されているスマートフォンや小型プロジェクターに繋がる。

レジブルシティが発表された時代に大規模な装置を準備してようやく発表が可能となった多くの作品は、機材が高性能になったり、小型化したりと、時代の変化に応じて制作の敷居が低くなったように思える。

例えばポケットに入っているiPhoneは電話、インターネット、音声スピーカー、カメラ、深度センサーなど多岐に渡る用途を兼ねている。このiPhoneを使って文字をARで表示し、デバイスと接続したARグラスをかけて自転車に乗ればリアル・レジブルシティだ!と思い、実装の内容をまとめたのがこちらの記事になる。

実装はARアプリケーションの先駆的存在であるセカイカメラ(2008-2014)を大いに参考にしている。実装面だけでなく、iPhoneを持って街に出かけ、そこへ行けないと触れることが出来ない情報を読むというセカイカメラの設計思想は「モビル文学」の小説の内容を発表する街を舞台にした小説にするという、サイトスペシフィックな作品へ舵を切る大きなきっかけになっている。

実際にARを用いて街に小説の言の葉を並べると、4回目の連載記事に記載しているように、文と文の間に間が生まれる。それは北園克衛が「単調な空間」(1957年)で示した文字間の余白のようなものであり、北園が紙面で表現したものを「モビル文学」では空間的に示していくことになる。

モビル文学の文学表現

「モビル文学」の制作に当たってレジブルシティと同じくらい大きな影響を受けたのが、松尾芭蕉である。筆者は『おくのほそ道』結びの地である岐阜県の大垣市に住んでおり、そのことをきっかけに修了後は芭蕉の意志を継いでモビル文学と共に世界中を旅して回ることにした。芭蕉が各地で句を詠みながら移動したように、筆者もまた行った先々で書いた小説を「モビル文学」として発表することが出来たらとても豊かなことだろう。

「モビル文学」の文学表現は一人称となることが多い。それは一般的な自転車が一人乗りで、常にペダルを漕ぎ続けることで主観が露わになるからだ。文中の「僕は」「私は」という言葉に鑑賞者の主観がリンクするような文章表現、運動のリズムに同期するように短い語句を連続させることを執筆時に意識している。

また、前章で述べたように小説は(そこまで行く必要があるが)実在する場所を移動しながら展開することが特徴としており、京都にある小川を舞台として移動と共に物語が進んでいく小説である森鴎外の『高瀬舟』(1916年)を参考に執筆している。その第一弾が前回の記事に記載したモビル文学 水門川ネバーエンディングフローである。

今後の課題

以上は「モビル文学」の成り立ちの概略となるが、まだ個々の作品や事例を深掘り出来ているとは言えず、引き続きのリサーチを進めていく。人間と自転車の関わりを歴史的な観点から考察した上で、なぜ路上で発表をするのかもっと考えていく必要があるだろう。それは夏休みの自由研究!ということでまた次回。

  1. 「岡本太郎の なんだ、これは!」展 ↩︎

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