モビル文学(5) 傑作となり得る小説を書こう

本記事は筆者のIAMAS(情報科学技術大学院大学)における修士研究である、自転車に乗りながら小説を読む試み「モビル文学」についての連載第五回目で、今回は本取り組みに適した小説の書き方についての考察を行う。

「モビル文学」は体験場所を舞台として執筆したAR小説を同地をサイクリングしながら読むということを最大の特徴としており、小説の中に自転車を漕いでいる土地をそのまま登場させたり、自転車で街を散策したり彷徨ったりする身体の動きを小説の内容と同期させることが肝なのではなかろうかと仮説を立てて制作を進めている。

思えば小説は映画や演劇など物語が内包する他の表現と比べて自由である。作者が「林檎があった」と書けばそこに林檎が現れるし、その恣意性を以て地球を滅ぼしてしまうことも、自転車に乗って四次元空間を旅することも出来る。そうした中で実在する場所を扱う理由とは一体何だろう。作者の記憶に基づく場所の再構成か、追憶か、それとも現実のオルタナティブが文字の組み合わせによって作られていくのだろうか。

上手く考えがまとまらないまま、京都での用事があったついでに高瀬川へ向かった。森鴎外の短編小説『高瀬舟』の舞台であり、川を降る舟で弟を殺した殺人の罪を背負う男を輸送する際に罪人が殺人までの経緯を説明する物語であり、高瀬川が舞台となっている。制作を続けていく上で何かヒントを得られるかもしれないと淡い期待があった。

森鴎外の小説の中では静かな夜に小舟で川下りをしているイメージがあったが、時代は移り変わり川沿いは繁華街となって無数の飲食店が連なる。すぐ近くに流れる鴨川と比較するととてもこじんまりとした川で川幅も二メートルくらいしかないかもしれない。それは想像していた通りか。酔い客の喧騒、水商売の客引きなどで猥雑な雰囲気が漂う夜の街の片隅でスマートフォンを握り青空文庫を開く。しかし中々文字が頭に入ってこない。そのままマップをスクロールすると上流の方はいくらか風情がありそうだったので、そこまで散歩すると思い描いていた京都の趣が残されていた。早速一見さんお断りの料亭の近くで佇み、作品を読み進めると、小さな川のせせらぎの音の中に役人と罪人の会話の声が聞こえてくるような気がする。すぐそこにあった観光用の小舟が闇の中でのっそり動き出すような予感があった。

小説の舞台と実際の街を連動させることで、体験者が見ている風景を物語が書き換え、その印象を動的に変えてしまうことが可能であるという体験知を得ることが出来た。

その翌日に今度は熱海に行く用事があったので、熱海でも実験をした。熱海は尾崎紅葉の『金色夜叉』の舞台であったり、芥川龍之介の『トロッコ』の舞台になった線路(小田原~熱海間)が近くにあるが、今回は起雲閣を訪ねることにした。起雲閣は数多くの文豪が宿泊した文学の聖地であり、太宰治が『人間失格』を執筆したり、三島由紀夫が新婚旅行で宿泊したと言われている。

太宰治が『人間失格』を執筆した起雲閣別館(1988年に取り壊し)は既に現存しないが、「大鳳」という太宰が玉川上水で自死する数日前に愛人と宿泊した逸話がある部屋へ行った。

部屋からは大きな松の木が見えた。太宰は鬱屈としながらこの松の木を見ていただろうか。部屋の片隅に座り『人間失格』を読む。太宰の鬱屈とした感情をテキストから感じる。しかし物語の舞台(青森と東京)と作者が執筆していた場所(熱海)が何の相関性もないためか、『高瀬舟』を高瀬舟で読んだ時のようなすぐそこに登場人物たちが存在しているかのような気配を感じることは出来なかった。

以上二つの体験から、モビル文学としての小説を執筆する上で、高瀬川で『高瀬舟』を読むように舞台となる場所を小説の中に盛り込むことがキーポイントであることが分かった。それが場所を問わずどこでも読むことが出来る紙の本と異なり、ある特定の場所で移動しながら小説を読む上での一番のポイントかもしれない。

その他、これまで何人かの人たちにモビル文学を体験してもらう中で、自転車を漕ぎながらテキストを読む際に多くの文字を一気に理解しにくいという課題があったので、一文節辺りの最大の文字数を六文字とした。またヒップホップのリリックを参考に自転車のペダルを漕ぐ運動のリズム感と言葉のリズムを同期させる試みに新しくチャレンジしている。

以下はIAMAS OPENHOUSE2024内の運動体設計+クリティカル・サイクリング早朝盛夏ライドにて体験可能な「モビル文学 水門川ネバーエンディングフロー」の小説部分である。小説の命名は「土地の名前 + カタカナ」に統一しており、これは昨年のライド記事で紹介したASIAN KUNG-FU GENERATION「サーフ ブンガク カマクラ」に由来する。

水門川ネバーエンディングフロー

初めて ここに来た 四月某日 桜は既に 散っていた
稀な早咲き 冬の名残が 身を刺した
アニメで見た あの場所を 探し 彷徨う
あの時も 自転車で来た 記憶
引っ越し 初めての一日 何も知らぬ
大垣が 奥の細道の 結びの地 と知る
この道を 歩いたか 芭蕉
蛤の ふたみに 別れ 行秋ぞ
言葉も 水も 流れゆく
諸行無常 何もない こともないが
どこへ 行ける 訳もなく
水都と云う スイトピア
水が満ち 水の道
心はどこに 祈りと共に
海を渡り 雲を運び
雨降り 土は寂び
ここと どこか
結ぶなら
ふたみに 別れ
また結ぶ
この川は 古く
水運を支え
ここと どこか
やはり結ぶ
遠い場所を 夢見
歩く 芭蕉
届く 場所
川の先を 眺め
川崎 いいや
どこへ 行ける 訳もないが
どこか 行ける

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