日曜日、ささやかなパレスチナ連帯サイクリング

日曜日に二人の仲間と「パレスチナ連帯サイクリング」へ出かけた。7月7日にもう少し人数を増やしたライドをやりたいと思っていて、その下地作り的な意味もある。今回は、十条のパレスチナ料理店ビサンでランチ→東京藝大での展示「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」→下北沢かまいキッチンでの『自由と壁とヒップホップ』上映会という流れ。忘れられない一日となった。以下にざっとレポートを記す(※筆者がスマホを一時紛失した影響で、16日の出来事を12日付けでバックデート公開しています)。

荒川を遡って十条へ

朝、東京駅付近に集合してスタート。メンバーは自分、友人のHide Saitoさん「パレスチナ あたたかい家」の展示会場となった登戸NAMNAM(※高円寺に移転)のオーナーAlberto Carrascoさん(愛称「ベト」さん、メキシコ出身)の三人。まずは東に向かい荒川を北西に遡るルート(Hideさん設定)。

自転車にまたがったベトさんとHideさんが横断歩道の手前で一時停止している様子。左側には立派な髭をたくわえて微笑むベトさんがピースサインをしてこちらを向いている。右側にはショルダーバッグを調整中のHideさん。
出発風景。ベトさんは登戸から自走、自分とHideさんは輪行で来た。Crustが2台てのもなかなか。
曇り空の下の荒川サイクリングロード。ゆるい下り坂を自転車に乗ったHideさんがこちらに向かってきている。
荒川サイクリングロードに乗ったところ。陽射しは弱いが蒸し暑い。
笑顔で自転車を立ち漕ぎしているベトさん。服装は黒いキャップに黒の長袖のTシャツ、あと黒い腿丈のハーフパンツ。腿からふくらはぎにかけてタトゥーが見える。自転車は水色のフレームにドロップハンドル、ランドナースタイルの白いフロントバッグが付いている。向こうに荒川沿いのビル群が見える。
楽しそうなベトさん(撮影:Hideさん)
ベトさんの自転車に付いているフロントバッグ。トップが透明のビニール素材になっており、「We Are All Palestinians」とプリントされた赤い布パッチが中に入っている。
ハンドルバーバッグのマップケースには「We Are All Palestinians」のメッセージ(撮影:Hideさん)
薄曇りの青空の下、両手を離して自転車に乗る筆者。服装はキャップに青い長袖Tシャツ、ベージュのハーフパンツ。腰にクーフィーヤ(パレスチナの伝統的なスカーフ)を巻いている。
パレスチナで織られたクフィーヤ、いよいよ暑いので最近は身につける時に腰に巻かせてもらってたり(撮影:Hideさん)

朝は少し雨がパラついたりもする曇り空だったが、気温も湿度もじわじわ上昇。走行中はぼちぼち涼しいものの、止まると地面から立ち昇るような暑さを感じた。ベトさんと走るのは初めて。ライドは言葉とは別の部分で相手のことをよりよく知る優れた機会だと思う。

緑色の自転車レーンと黒の通常の道路の間に白い境界線が引かれており、そこにパレスチナ国旗柄のポーチを手に持って重ねている様子。ポーチの柄が緑・白・黒という配色になっており、ちょうど道路の配色と同じになっている。
Hideさんがいくつも制作しプレゼントしてくれた「パレスチナの旗」ミニポーチ。途中の街路のカラーとの重なりをパチリ。

初訪問のビサンでランチ

途中で小休止を挟んだりしつつ、昼過ぎに日暮里崖線をガッと登りビサンに到着。自分もHideさんも以前からずっと来たかった店だ。ちょっと遠いのと、「ちゃんと」行きたいのとで先送りになっていた。ベトさんは訪問済み&オーナーさんともつながっているとのことで、タイミングが巡ってきたと思い予約をとってもらった。なお日曜日は予約のみの対応の模様。最初は店内が真っ暗で人の気配もなく、ベトさんは青ざめていた。

「ビサン」の店構え。レンガ造りの古い2階建てのビルの1階が店舗になっており、店舗の部分は壁が青く、入口のドアが白く塗られている。入口の上に「パレスチナ料理 ビサン」と書かれたパレスチナ国旗の配色の看板。周囲は閑静な住宅街。
ビサン外観。

店内の壁面には所狭しとパレスチナと周辺のアラビア語圏の品々、訪問者の写真などが並ぶ。情報量が多過ぎたのと空腹のせいか、自分はただ「わー」「すごーい」とか言いながらぼけっとしていた気がする。

ビサン店内の壁面。お客さんと撮ったたくさんの記念写真が貼られている他、ガットギターやたくさんの雑貨が所狭しと並べられている。
入って左手の壁面。
ビサン店内の壁面。パレスチナの国土を象ったパレスチナ刺繍のタペストリーや陶器、現地のものと思しきお皿などが飾られている。
反対側の奥の方の壁面。

オーナーシェフのマンスール・スドゥキさん(ファーストネームがスドゥキさん)は常にボケ倒すスタイルの冗談が大好きな方で、それは自分たちが着席するなり「はいお水800円ね」と始まってずっと続いた。ランチにはベトさんの友人のパレスチナの方が合流、この方もお喋りとジョークが止まらないタイプ。普段は自転車移動が多いそうで元々はライド自体に参加する話になっていたが、この日はイスラムの祝祭「イード・アル=アドハー」の初日だったため、モスクに顔を出してから電車で駆けつけてくださった。

長皿に盛られたタッブーラサラダ。パセリとトマト、クスクスなどが混ぜ合わされている。
タッブーラサラダ。メニューによると「アラブで最も人気のある代表的なサラダです。パセリをふんだんに使ってオリーブオイル・グレット(挽き割り小麦粉)、ブルグルで和えたサッパリ味のサラダ」。(撮影:Hideさん)

料理は基本的に一品あたり二人~三人前くらいの分量。パレスチナ料理の知識・経験はゼロに近いのであれこれ語ることはできないが、ビサンで頂いたものは野菜が豊富でサッパリしており、身体にも良さそうだった。「本日のおすすめ」がラム肉の料理だったのはイード・アル=アドハーの風習にちなんだもの?

丸皿に盛られたクフタ・カルーフ。ミンチにしたラム肉とピーマン、パプリカ、たまねぎなどが和えられている。
「本日のオススメ」、ラム肉のミンチを使った「クフタ・カルーフ」。これ、とても美味しかった。
テーブルに色々な料理が並んでいる様子。
土地に根差した料理を頂くのはとても嬉しく、楽しい。(撮影:Hideさん)
黒い正方形の大皿に盛られたマンサフ。カレーピラフのような見た目。みじん切りにしたトマトとピンク色のソースが掛かっている。
ちょっと時間がかかって最後に登場した「マンサフ」。マンスールさんはまずとても小さな皿に盛り付けたマンサフを「お待たせ」と出して我々を混乱させ、その顔を見ながらニコニコして本当の大皿を持ってきた。メニューには「パレスチナのチャーハン」とあるが、ベトさんの友人は「チャーハンではない」と笑っていた。(撮影:Hideさん)
コーヒーの入った水色のカップと、揃いのソーサー。
お腹いっぱいでコーヒータイム。

食事の後、他のお客さんたちも居なくなった店内で、マンスールさんからパレスチナのことなどを色々と聞かせて頂いた。ボケてばかりいる中でスッとこぼされた「きっとパレスチナにはいいことがあるよ」「そうじゃなきゃおかしいでしょ」との言葉がずっと忘れられない。

ビサン店内で、手に持ったポーチをしげしげと眺めているマンスールさん。緑色のTシャツに、髪型はトップを少し残した坊主頭。
Hideさんがプレゼントしたミニポーチを眺めて「天才だね」と感心しているマンスールさん。
ビサン店内で撮影された集合写真。左からベトさん、マンスールさん、筆者、Hideさん。マンスールさん以外は首や肩にクーフィーヤを掛けている。全員笑顔でこちらを向いている。
記念写真。これは3枚目で、「一応もう1枚」と言ったらマンスールさんが「しょうがないな、いいよ」とふざけ、みんなこの笑顔になった。(撮影:Hideさん)
お店の前でベトさんとマンスールさんが親指を立ててこちらを向いている。ベトさんは黒の短パンに胸元にアラビア語で「パレスチナ」とプリントされた黒い長袖Tシャツを着て、横にある自転車を手で支えている。足元は差し色に紫と黄色が入った白いスニーカー。マンスールさんの身長は190cm以上で、服装は緑色のTシャツにジーンズ、赤い靴紐のグレーのスニーカー。ベトさんはマンスールさんより少し背が低い。
ビサン前で、ベトさんとマンスールさん。(撮影:Hideさん)

不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2

名残惜しくもビサンを後にした私たちは、東京藝大で開催中の「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」へ。滝野川から谷田川通りと流れてゆく道はかつての川の跡で、それと感じ取れる蛇行が心地よい。だが水の道だったところに蓋をした陸路を人間が通れるということには、以前ちょっと書いた通り何層もの軽くはない歴史性がある。

藝大の陳列館での今回の展示には「パレスチナ あたたかい家」にも参加していたアーティストたちが関わっていて、この日はシルクスクリーンのワークショップもやっていた(これには間に合わなかったのだが、ビサンで大切な時間を過ごせたのでOK)。力の論理が全てを飲み込んでしまうように感じられる時代にあって(いや、ずっと前からそうだった)、不和 Dissentの当事者・目撃者の立場から何を創り出し伝え残していくか、との危機意識に私は強く共鳴する。

青空を背景に、レンガ造りの藝大の陳列館とオーギュスト・ロダン「青銅時代」像の上半身を移した写真。像にはパレスチナの伝統的なスカーフ「クーフィーヤ」が巻かれている。周囲は樹々に囲まれている。
ロダンの彫刻がクフィーヤを纏っていた。
陳列館のエントランスブース。壁に、黒背景に赤い文字で「DISSENT!!」とドローイングされた横長のポスターが6枚貼られている。
展示エントランス。(撮影:Hideさん)
パレスチナの伝統的なスカーフ「クーフィーヤ」を額縁に敷き詰めた作品が壁に掛かっている。
額装そして展示室という枠の中に閉じ込められ、しかしわずかに溢れ出したクフィーヤ(パレスチナの象徴)。
「FREE PALESTINE」「END THE OCCUPATION」と書かれた檻を模したオブジェが、階段の手摺の上にあるひし形の格子が付いた窓の前に置かれている。
私たちを囲っているそれは何なのか。(撮影:Hideさん)
石つぶてを握りしめる拳のイラストの下に「FREE PALESTINE」と書かれた版画作品。
占領と破壊が生んだ瓦礫の石つぶてが解放のシンボルとなる。
手書きのメッセージが書かれたダンボールで壁が埋め尽くされた部屋。強い西日が差し込んでいる。2人の人がしゃがんで作品を眺めている。奥に一際大きなボードで「パレスチナの声」というタイトルが掲示されている。
「パレスチナの声」の部屋。
9マスの正方形のそれぞれに「◯◯人には◯◯(国名)がある」というキャプションとともにカラフルなイラストが描かれており、その下に「パレスチナ人にはパレスチナがない」というメッセージが書かれた「11月29日 国連パレスチナデー」のポスター。
パレスチナの苦境を日本語でも伝えてきたポスター群の一つ。
日本で行われたパレスチナ連帯デモの様子を写したたくさんの写真が壁面に貼られている様子。
目下のパレスチナ迫害・虐殺に抗する日本国内の運動の記録写真。
パレスチナの伝統的なスカーフの柄(漁網とオリーブ)のシルクスクリーンの版。
パレスチナに関わるシンボルをシルクスクリーンで任意のアイテムに転写できるワークショップの一角。こちらはクフィーヤに編まれる漁網やオリーブの葉の型。
白い布の上に赤い絵の具で無数の涙が描かれている。
血の涙を来場者が描いてゆく参加型の作品。(撮影:Hideさん)
白い布の上に、筆と赤い絵の具で涙を描いている様子。
血の涙を描く。
棚に並べられた本。プッシー・ライオット『読書と暴動』の他、洋書が数冊。壁にはメッセージが書かれたカラフルな付箋が貼られている。
様々な抵抗に関する書籍を並べた一角。
壁に貼られた付箋に「G7のGはGenocideのG」「そうだ、一揆しよう」などのメッセージが書かれている。その下に『ブラック・ライブズ・マター』や『一揆論』などの本が並んでいる。
一揆やブラック・ライブズ・マターといった運動が時代や地域を超えて共振する空間。
付箋と本が並んだ壁面。『戦争の枠組』『ケンドリック・ラマー』の本の上に、メッセージの書かれた付箋が貼られている。
ケンドリック・ラマ―の本もこの文脈に連なる。
ZINEが置かれた回転式の白いラック。
声を上げること、耳を傾けることについてのzineが集まったラック。
白い壁面に映画が投影されている。手前には作品解説ボード。
世界各地の抵抗運動にまつわる映像を流すセクション。

不和のアート展を出てみると、陽が傾いて風が少し優しくなっていた。それでも湿度がひどく高く、疲れも相まって割としんどい。ベトさんはパートナーが出演するライブのため表参道へ。ルートが重なるので付近までは一緒に走った。

ママチャリに乗った方を追い越すベトさん。
上野の山を発ち都を南西へ駆ける。

『自由と壁とヒップホップ』上映会

下北沢かまいキッチンで上映された作品はSlingshot Hip Hop(邦題『自由と壁とヒップホップ』)。こちらも前から観たかったドキュメンタリーだ。公開されている日本語字幕つきのダイジェスト版だけでは分からなかった、今まさに続いている歴史の重み、抵抗することの意味、ラップという現在形の表現手段のかけがえのなさが、楽曲のビートとともに深く身体に刻まれる作品だった。

映画の一場面。タイトルロゴの横に「人民に力を 我らに平和を」という字幕。
Slingshot Hip Hopタイトル画。

1948年からイスラエルとされてきた地域で育ったパレスチナ人の若者たち(この立場の人々は時に「48年組」と呼ばれるそうだ)のグループDAMは、Public Enemyや2Pacといったアメリカのラッパーたちが伝えてきた黒人社会の苦しみに自分たちと同じものを見出し、最初は英語で、やがてアラビア語で、曲作りとレコーディング、ライブに打ち込んでいく。

映画の一場面。「歴史を画する変化を目撃するのだから」という字幕。
オープニング部分のアニメーションタッチのシーン。自転車に乗った青年の姿が描かれている点にも注目。

1967年から新たに占領されいっそう過酷な破壊と暴力の対象とされてきたガザ地区とヨルダン川西岸地区の若者たち(「67年組」)にもパレスチナのラップは伝播し、PRなどの強力なアーティストが登場してきた。彼らは互いを作品や動画で知り、電話でコンタクトをとるのだが、2000年代初頭に建てられた分離壁と無数の検問所によって分断され、直で顔を合わせることは極めて難しい(会うためには命の危険を冒すことになる)。

映画の一場面。「昔はオリーブ畑だった」という字幕。
DAMのメンバーがイスラエルの入植者により奪われる以前のパレスチナの豊かな土地を追想する様子。

子どもたちに歴史を学び声を上げることの重要性を説き、イスラム社会では難しい女性アーティストのステージ出演を実現させ、いくつもの壁の向こうの自由を手にしようと叫びを発し続けるラッパーたち。2008年の作品だから、スクリーンの向こうの出来事は16年以上前のことだ。2023年10月からのイスラエルによるガザ大虐殺は、そこではまだ起きていない。

『自由と壁とヒップホップ』のフライヤーの上半分。「彼らの叫びが世界を変える!!」というコピーの背景に、夕焼け空をバックにマイクを構えるラッパーの姿がある。
上映用ディスクのパッケージ片面。フライヤーが差し込んである。
『壁と自由とヒップホップ』のフライヤーの下半分。「サンダンス映画祭正式出品 『自由と壁とヒップホップ』 ジャッキー・リーム・サッローム監督作品 https://www.cine.co.jp/」「過酷な環境で”今”を生きるパレスチナ人ラップミュージシャンたち その希望へのメッセージが胸を熱くする」というコピーが書かれている。
同パッケージの反対側。

映画を見終え、上映を企画して下さった世田谷ポリネーターズの方々(昨年11月の「下北自転車映画祭」の主催者でもある)や他のお客さん、それからHideさんとちょっとお喋りをして、夜のまちを自転車でゆるゆる帰巣した。

長い一日、しっかり受け止めなければならない想いや言葉が沢山あって、精神への負荷は野山をゆく自転車遊びよりもずっと大きかった。けれど見聞きした大切なことを自分の身体と生活に浸透させるには、こうして自転車で闇の中を漕いでいくようなことが何より合っているとも思う。自分がいつも生きている辺りと、距離を隔てた先の誰かの日常と苦しみ、それらが地続きであることを、自転車なんかで旅をする者はよく知っているはずだ。自分や他者を壁の中に閉じ込めずに自分の力で遠くへ行くスキルは、そうした世界の地続き性に私たちの意識を開いてくれる。


今回の記事の全画像にはHideさんがALTテキストをつけて下さいました。全記事でやりたいと思いつつできていなかったので、とてもありがたいです。Hideさんは情報アクセシビリティの不公平を減らしていく取り組みをお仕事でもプライベートでもなさっておいでです。みんなで支え合いながらケアの輪を広げていきましょう(そして公助も求めていきましょう)。

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