日曜日に二人の仲間と「パレスチナ連帯サイクリング」へ出かけた。7月7日にもう少し人数を増やしたライドをやりたいと思っていて、その下地作り的な意味もある。今回は、十条のパレスチナ料理店ビサンでランチ→東京藝大での展示「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」→下北沢かまいキッチンでの『自由と壁とヒップホップ』上映会という流れ。忘れられない一日となった。以下にざっとレポートを記す(※筆者がスマホを一時紛失した影響で、16日の出来事を12日付けでバックデート公開しています)。
荒川を遡って十条へ
朝、東京駅付近に集合してスタート。メンバーは自分、友人のHide Saitoさん、「パレスチナ あたたかい家」の展示会場となった登戸NAMNAM(※高円寺に移転)のオーナーAlberto Carrascoさん(愛称「ベト」さん、メキシコ出身)の三人。まずは東に向かい荒川を北西に遡るルート(Hideさん設定)。
朝は少し雨がパラついたりもする曇り空だったが、気温も湿度もじわじわ上昇。走行中はぼちぼち涼しいものの、止まると地面から立ち昇るような暑さを感じた。ベトさんと走るのは初めて。ライドは言葉とは別の部分で相手のことをよりよく知る優れた機会だと思う。
初訪問のビサンでランチ
途中で小休止を挟んだりしつつ、昼過ぎに日暮里崖線をガッと登りビサンに到着。自分もHideさんも以前からずっと来たかった店だ。ちょっと遠いのと、「ちゃんと」行きたいのとで先送りになっていた。ベトさんは訪問済み&オーナーさんともつながっているとのことで、タイミングが巡ってきたと思い予約をとってもらった。なお日曜日は予約のみの対応の模様。最初は店内が真っ暗で人の気配もなく、ベトさんは青ざめていた。
店内の壁面には所狭しとパレスチナと周辺のアラビア語圏の品々、訪問者の写真などが並ぶ。情報量が多過ぎたのと空腹のせいか、自分はただ「わー」「すごーい」とか言いながらぼけっとしていた気がする。
オーナーシェフのマンスール・スドゥキさん(ファーストネームがスドゥキさん)は常にボケ倒すスタイルの冗談が大好きな方で、それは自分たちが着席するなり「はいお水800円ね」と始まってずっと続いた。ランチにはベトさんの友人のパレスチナの方が合流、この方もお喋りとジョークが止まらないタイプ。普段は自転車移動が多いそうで元々はライド自体に参加する話になっていたが、この日はイスラムの祝祭「イード・アル=アドハー」の初日だったため、モスクに顔を出してから電車で駆けつけてくださった。

料理は基本的に一品あたり二人~三人前くらいの分量。パレスチナ料理の知識・経験はゼロに近いのであれこれ語ることはできないが、ビサンで頂いたものは野菜が豊富でサッパリしており、身体にも良さそうだった。「本日のおすすめ」がラム肉の料理だったのはイード・アル=アドハーの風習にちなんだもの?

食事の後、他のお客さんたちも居なくなった店内で、マンスールさんからパレスチナのことなどを色々と聞かせて頂いた。ボケてばかりいる中でスッとこぼされた「きっとパレスチナにはいいことがあるよ」「そうじゃなきゃおかしいでしょ」との言葉がずっと忘れられない。
不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2
名残惜しくもビサンを後にした私たちは、東京藝大で開催中の「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」へ。滝野川から谷田川通りと流れてゆく道はかつての川の跡で、それと感じ取れる蛇行が心地よい。だが水の道だったところに蓋をした陸路を人間が通れるということには、以前ちょっと書いた通り何層もの軽くはない歴史性がある。
藝大の陳列館での今回の展示には「パレスチナ あたたかい家」にも参加していたアーティストたちが関わっていて、この日はシルクスクリーンのワークショップもやっていた(これには間に合わなかったのだが、ビサンで大切な時間を過ごせたのでOK)。力の論理が全てを飲み込んでしまうように感じられる時代にあって(いや、ずっと前からそうだった)、不和 Dissentの当事者・目撃者の立場から何を創り出し伝え残していくか、との危機意識に私は強く共鳴する。
不和のアート展を出てみると、陽が傾いて風が少し優しくなっていた。それでも湿度がひどく高く、疲れも相まって割としんどい。ベトさんはパートナーが出演するライブのため表参道へ。ルートが重なるので付近までは一緒に走った。
『自由と壁とヒップホップ』上映会
下北沢かまいキッチンで上映された作品はSlingshot Hip Hop(邦題『自由と壁とヒップホップ』)。こちらも前から観たかったドキュメンタリーだ。公開されている日本語字幕つきのダイジェスト版だけでは分からなかった、今まさに続いている歴史の重み、抵抗することの意味、ラップという現在形の表現手段のかけがえのなさが、楽曲のビートとともに深く身体に刻まれる作品だった。
1948年からイスラエルとされてきた地域で育ったパレスチナ人の若者たち(この立場の人々は時に「48年組」と呼ばれるそうだ)のグループDAMは、Public Enemyや2Pacといったアメリカのラッパーたちが伝えてきた黒人社会の苦しみに自分たちと同じものを見出し、最初は英語で、やがてアラビア語で、曲作りとレコーディング、ライブに打ち込んでいく。
1967年から新たに占領されいっそう過酷な破壊と暴力の対象とされてきたガザ地区とヨルダン川西岸地区の若者たち(「67年組」)にもパレスチナのラップは伝播し、PRなどの強力なアーティストが登場してきた。彼らは互いを作品や動画で知り、電話でコンタクトをとるのだが、2000年代初頭に建てられた分離壁と無数の検問所によって分断され、直で顔を合わせることは極めて難しい(会うためには命の危険を冒すことになる)。
子どもたちに歴史を学び声を上げることの重要性を説き、イスラム社会では難しい女性アーティストのステージ出演を実現させ、いくつもの壁の向こうの自由を手にしようと叫びを発し続けるラッパーたち。2008年の作品だから、スクリーンの向こうの出来事は16年以上前のことだ。2023年10月からのイスラエルによるガザ大虐殺は、そこではまだ起きていない。
映画を見終え、上映を企画して下さった世田谷ポリネーターズの方々(昨年11月の「下北自転車映画祭」の主催者でもある)や他のお客さん、それからHideさんとちょっとお喋りをして、夜のまちを自転車でゆるゆる帰巣した。
長い一日、しっかり受け止めなければならない想いや言葉が沢山あって、精神への負荷は野山をゆく自転車遊びよりもずっと大きかった。けれど見聞きした大切なことを自分の身体と生活に浸透させるには、こうして自転車で闇の中を漕いでいくようなことが何より合っているとも思う。自分がいつも生きている辺りと、距離を隔てた先の誰かの日常と苦しみ、それらが地続きであることを、自転車なんかで旅をする者はよく知っているはずだ。自分や他者を壁の中に閉じ込めずに自分の力で遠くへ行くスキルは、そうした世界の地続き性に私たちの意識を開いてくれる。
今回の記事の全画像にはHideさんがALTテキストをつけて下さいました。全記事でやりたいと思いつつできていなかったので、とてもありがたいです。Hideさんは情報アクセシビリティの不公平を減らしていく取り組みをお仕事でもプライベートでもなさっておいでです。みんなで支え合いながらケアの輪を広げていきましょう(そして公助も求めていきましょう)。