ショップにある自転車

1980年から1990年代にかけて、任天堂ファミリーコンピューター・通称ファミコンは日本における娯楽の形態に新しいスタイルをもたらした。各家庭のテレビの前の空間の風景を大きく変えてしまった。一方で同じ頃の屋外では、子供たちの遊び道具として人気だったものにジュニアスポーツ自転車があった。

参考記事 昭和すごかった “やり過ぎ”上等「スーパーカー自転車」はいかに少年の心をつかんだのか

スポーツカーのようなスタイルをした2眼のライト・6段変速のレバーなどの装備で他とは一線を隔する、かつてヒットした商品である。今現在のような情報や動画ではなく、物理的な玩具と場所をシェアすることが普通だった当時にあっては、これらのゲームや自転車を実際に見るまでは認識することもできない。だが、都市部から離れた地域に住んでいた私にとっても、これらは実際に目や耳にすることが多かった。

それぞれの地域に実際にファミコンのある家庭や、スーパーカーのような自転車に乗っている子供が増えることによって、製品が認知されていく。それだけでなく、かつて様々な街にあったファミコンショップは、子供や若い世代にとってゲームを入手できる場所であるとともに、ゲームの内容を評価して購入するかどうかを決める場所でもあった。その場所に行けばゲームソフトがある、その「ある」ということは何よりも大切であったように思う。

ファミコンショップにはゲームの試遊機もあった。自分以外の人がプレイしているのを見たり、他人同士が遊びながら話しているゲームの話題から、自分の嗜好に合うものかどうかを聞き分けたり、直接店の人から評判を聞くこともできた。今ではそのようなファミコンショップ、ゲームショップという場所はめっきり少なくなってしまったように見える。

その原因として考えられるのは、人々の趣味嗜好の変化だけではなく、小売や流注の形態が変化したことによるものも大きいだろう。2010年ごろから徐々に浸透し始めた、家庭用ゲームソフトをオンラインでダウンロードする販売形態は、今ではかつての流通を凌ぐ取引量になっているのだから。お店にあったから、とか、同じ地域に持って人がいたから、とか、そういった実物や物理空間を介した販売の促進とともに、小売店や流通の存在感が低下してしまったのかもしれない。

ゲームと同じく娯楽品であり、嗜好品としてのロードバイクにも、徐々にその変化は訪れつつあるようだ。海外メーカーのCANYONやSpecializedなどのように、メーカーが直接ユーザーに販売する形態を進める企業も増えつつある。もしも、自転車産業がファミコンと同じような道を辿るのならば、おそらく自転車ショップは都市から徐々に数を減らしていくことだろう。

ウェブサイトや映像、製品について語っている動画配信者など、消費者が情報を得る手段は格段に増えたため、実物が「ある」場所は、いまやこれといって役割がハッキリとしていない。人気でなかなか手に入らないゲームを探してファミコンショップに行ったり、電話をかけて欲しいゲームソフトがあるかどうかを聞いて「ありますよ」という答えを得た時の感動などとは無縁となってきているのだろう。

オンラインでロードバイクを購入できるほどに成熟した文化と社会のなか、実店舗で実物でないと購入してはいけない理由は見当たらない。けれど、実店舗に実物があることを理由に購入してはいけないわけでもない。自転車ショップに求めるものは自転車乗り一人一人にとって違うと思うけれど、私にとっては大切な場所である。


私はこれまで色々な自転車に乗ってきた。けれど、炭素繊維強化プラスチックでできた自転車、すなわちカーボンバイクについては私にとってまだ未知の素材である。

舗装状態の悪い道、砂利の道、土の道、林のなかであっても走破をしやすくすることが出来るグラベルバイクは興味を引く存在だ。太いタイヤやディスクブレーキを特徴とするグラベルバイクは重量が増えるけれど、カーボンフレームの軽さを引き換えにすれば、そのデメリットも帳消しにできる。頭では魅力を思い描くことはできるのだが、なかなか実物を見る機会を得ない。「ありますよ」の一言が聞ける場所は少ない。

私は、自転車の話ができる自転車ショップに行って、自分が思う自転車の夢想の束を叩きつけてみた。「こういうものに興味がある。」「こういうものが好き。」「こういうものの話を他人から聞いてこう思った。」「こういうものを、まだ体験していない。」

一通り伝えきったあとに、自転車ショップから「今、店にありますよ」という声が返ってくる。私が欲しかったのは、グラベルロードバイクだけではない、その一言でもあった。それこそ、がおぼろげに興味を抱いている嗜好品の購入を決断させるに相応しい言葉なのだ。

システムの発達によって、流通にかかるコストを省いた安価な値段でメーカー直販自転車を買うこともできる。カタログを見て注文した自転車の入荷を一日千秋の思いで待つこともできる。けれど、「ありますよ」はショップに行くための必要十分な魅力だ。小売店、問屋、流通卸売の仕組みには商売上のリスクもあるし、手間やコストも上乗せされる。しかし、ありますか?の「問い」に「ありますよ」と答えられることは、商品スペックには表れてこない別次元の役割も果たしているのではないか。

偶然在庫があっただけかもしれないし、偶然問屋からすぐに手配できるものだったかもしれないし、偶然客である私がそれを気に入っただけかもしれない。たとえそうであっても、ショップが胸をはってお客に勧めるだけの強い自信があってこそ、客と商品の幸せな出会いを提供できる場になりえるだろう。


昔、ファミコンソフトの流通システムの大幅刷新が行われ、メーカーによるゲーム販売の仕組みを新しく効率的なものにする取り組みが進められたことで、「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」の入手に混乱が生じた出来事があった。今のようにネット情報が手に入らない消費者は、どこのショップに行けばソフトが「ある」のかわからない状態が生まれた。

ネットの普及した今であっても、欲しい商品の「在庫:あり」「在庫:なし」の表示に一喜一憂することと本質的な違いはないし、店に行こうとオンラインだろうと、結果的に手に入るものは同じだ。おそらく当時、ゼルダの伝説も予約をして入荷日を首を長くして待っていれば手に入ったのだろう。そのような状況下、一か八かファミコンショップにいってみるという博打を打って、「ありますよ」の一言が返ってきたときには、自分だけは奇跡を探し当てた、という気分になれる。そこだけの違いだ。

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