暗渠を辿りピーター・シスの迷宮と夢へ

練馬区美術館の「ピーター・シスの闇と夢」展に、自転車で暗渠をたどって行ってきた。Google Mapsで怪しい緑道を見つけたところから思いついたルートは、図らずもシスの世界に入ってゆくのにぴったりのものだった。その断片をここに記録しておく。

地理院地図=標準地図と地形分類(ベクトルタイル提供実験)で表示した中村橋駅付近。石神井川系と神田川系の間の尾根筋を千川通りが走っている。

練馬区立美術館は西武池袋線の中村橋駅のすぐ近くにある。「橋」の名の由来は千川上水で、上水はこの辺りでは清戸道という街道と共に石神井川系と神田川系の間の尾根を通っていた。既に暗渠化された上水と清戸道は現在「千川通り」という大通りをなしており、これをサイクリングに使っても正直あまり面白くない。Googleマップで見つけた緑道は石神井川系の自然河川、貫井川の跡であった。こちらを辿ってみることにしたのだ。

貫井川の緑道の入り口。

貫井川は、源流とされるエリアでは高低差が曖昧で追跡がやや難しく、定常的な湧水が豊かにあったようには思えなかった。「貫井」は「ぬくい」と読み、事後調査によると、その名は弘法大師が水不足に苦しむ人々のために井戸を貫いたとの伝承に由来するという。自然河川は古い時代ほど水が多いとも限らず、上水などの人工水路を介し大きな川と接続することで安定した水量が確保されるケースもある。貫井川も千川上水(1696年に江戸市中の上水として整備され、のちに途中の農村の用水に転用)に支えられていた部分が大きいのではないか、などと考えながら低くなっているところを探した。

練馬区の名物だという「水路敷」の文字と水色の舗装。奥(上流)から手前(下流)に走った。

いったん緑道が始まると、貫井川の谷はそこそこ明瞭で辿り易い。全暗渠、全舗装。同行した友人は地元民だがほとんど通ったことがなかったという。車止めもさほどいやらしくなく、自転車での通行も難しくない。周りの人や生き物の存在を感じながらゆっくりクルーズするのに良い水の道だ。

カマキリさん。

環状道路を跨ぐところの信号待ちで、カマキリが友人にくっついているのを発見。羽のある虫とはいえ、テリトリーではないかも知れない向こう側に連れて行かれるのが本意かどうか分からないので降車してもらった。人間の道はこうして、生き物たちの道を少なからず断ち切っている。

秋の空と暗渠。

暗渠はやはり長く繋がっているのが面白いと思う。けれどもあんまり整備され過ぎていない方が探索の気分は上がる。ある時代に一気に同じ表情にされてしまったような暗渠緑道(都内ではKY川の大部分とか、MZ川とか)はどうも味気ない。貫井川暗渠はバランスが絶妙で、お気に入りのルートの一つになった。

こういうところも良い。

それにやはり、初めての暗渠は楽しい。どんな風に繋がっているか、あるいは途切れているか、目の前の地形や土地利用を読み取りながら走る新鮮さは、二度目以降ではどうしても損なわれてしまう。予習や地形図等の参照も最初は最低限にした方が良い。

練馬区立美術館。大きな鯨=マンハッタン島は東側から亡命したシスにとっては自由のシンボルの一つといえる。

途中で流路を見失うことも特になかったが、初の貫井川暗渠サイクリングは石神井川との合流地点まで1時間ちょっとかかった。尾根にある中村橋へは、石神井川の別の支流の暗渠を遡る。こちらも短いながら谷が顕著でワイルドな魅力がある。普段は水量が少ないのに雨の時だけ氾濫するような川だったのかも知れない。美術館に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

シス展チケット。迷路の中央に父親の旅したチベットの風景が見える。

「ピーター・シスの闇と夢」展は、英語ではPeter Sis: Labyrinths and Dreamsと題されている。「闇」に対応するのがLabyrinthsで、迷宮はシス作品に頻繁に登場するモチーフだ。冷戦下のチェコから西側へ亡命した後に絵本の制作を軸足とするようになったシスは、地図的な表現をよく用いてきたようだ。探検物語に登場するようなマジカルな地図の上には、迷宮と自由のイメージがしばしば対置される。そしてその自由のシンボルの一つは、他ならぬ自転車である。

シス展チラシ(表面、部分)。

流路を固定され蓋をされた川をシスの迷宮やチェコ時代のシス自身に重ねるのはやり過ぎに違いないが、思いつきの暗渠ライドは、たまたまとても上手く踏めた韻のように、するりと展示に繋がった。正しいルートだったな、と感じられたのだ。最も印象的に残った作品の一つは2014年の絵本『飛行士と星の王子さま:サン=テグジュペリの生涯』の原画の一枚で、そこには青い空に吸い込まれるように登っていく白い飛行機=自転車(一体化している)と乗り手の少年の姿が描かれている。

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