里の奥、半島の背をなぞり海を見つける

先日、久々に良いなと思えるサイクリングをした。親戚の暮らす町が付け根にある半島を、その背骨に沿って海まで。

日々の暮らしのすぐ裏手にあり、だが端まで辿ってみる人は少ないルートだ。常緑広葉樹の多い地方で、まだ秋も深まる前とはいえ眺望もあまりない。たまにあっても写真など撮らずに駆け抜けてしまう。

少し古いシングルスピードのリジッドMTBで、踏めないほどの斜度はない道を黙々と、キリのいいところで休みつつ登る。休んでいるところへ寄ってくるアブを手拭いで追い払う。尾根の近くは風が涼しい。

しんどいところほど踏んでいくしかないシングルスピードは良い。せこい計算などせず、ただやるだけ。やられる時はやられるだけだ。腰を上げ、笑うような掛け声を一つ発して、左右の脚のバトンタッチを加速させていく。

地形、植生、人の信仰。フィールドで触れるそれらを、ただ知識として貪ることの貧しさを(自分の問題として)近頃よく考える。自分という生き物を叩き起こさなければ、「知っている」という慢心と薄ら笑いだけで時を過ごすことになる。心臓を鳴らせ。お前は誰だ。

道はやがて尾根筋を逸れ、中腹をトラバースする形で続く。杉が多く、昼でも薄暗い。

集落があり、トラクターに乗った住民とすれ違う。さほど深いところではないが不便も多いだろう。

しばらく沢が平行し、小さな滝へ出る。そこを過ぎるとため池がある。いったん里に抜けたところで雨がパラつき、同行していた親戚のMは独り撤収することに。だが自販機の前でおにぎりを食べているとMが戻って来た。やっぱり最後までやる気になった、と。

この辺りのため池は半島の背骨と里の中間にあり、先の行程はそれらを繋いでいく格好になる。肋骨、というにはふっくらした尾根を、一つまた一つと越えるのだ。よく登る。自分の走りも徐々にタレてくる。

通う人も少ないのに、道はほとんどが舗装されている。自分の普段のテリトリーとは違う。

腐葉土と化した落ち葉が積もった、苔むした舗装も珍しくない。未舗装路よりもスリップに警戒が必要な路面だ。

半島の先端に近づくにつれ、周囲は杉林からジャングルめいた様子になっていく。日没までに抜け切る脚力が残っていない、と、Mはこの次の谷で撤退を決めた。道中で待ち合わせることにして、自分は最後の尾根をやっつけにかかる。幅広のバーを腕で引き付け、脚を踏ん張って登る。傾斜がゆるくなれば体重だけでリズムを作って回す。

峠を越えてすぐ、少し先の茂みを破り猪が道を横切る。自分は大声を上げながら、徐々に位置エネルギーを解き放っていく。別の猪が藪に駆け込み、また別の場所で枝葉の乱れる音。やがていくらか視界が開けたかと思うと、細い下り坂の向こうに漁村と海があった。

一気に港へ下る二、三分の間に、自分はこの土地が好きになっていた。風景とはこうして、自らを差し出した者の前に現れるものなのだろう。山を走り抜いたことで、海が見つかった。

まだ明るい海沿いを、Mとの待ち合わせ場所へ。登れるギア比のシングルは、平坦路ではすぐ脚が回り切り尻と腕にくる。

合流してから帰投まで、道のりはさらに20キロはある。暮れ時の空の底、自分たちを包む青く満ちていく空気は、この海の一部、海そのものだ。

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