自転車に「乗る」ためのレッスン 第25回 自転車から趣味の意味を考える

時効警察』をいまさら見ている。2006年のドラマだ。当時も見てなかったので、ほんとにいまさらなのだが、三木聡を中心としたディレクターによる脱力感溢れる、“コールドケース”だ。『コールドケース』とは、CBSが2003年から放送していた、人気ドラマだ。近年日本版リメイクがwowowで放送されていた。『コールドケース』は、解決できなかった事件を再捜査するわけだから、まぁ、ろくでもない話が多い。特にアメリカ版では、警察の不祥事ゆえの隠蔽であったり、ドメスティックバイオレンスのために表沙汰にならなかった事件などなどだ。さらにCBS版は、20世紀にはそもそも事件自体が明るみにできなかった、要するに社会が無意識に隠蔽してしまった事件を、時代の変化として21世紀が晒しだしたドラマと言ってもよい。20世紀というか、近代を批判する眼差しを感じる。対してwowow版にはそうした性格は希薄だ。

他方『時効警察』は、すれ違いを主題にしている。それが結果として、社会のリジッドな枠組みに揺さぶりをかけているのだ。そもそも主人公、総武警察署時効管理課の霧山修一朗(オダギリジョー)は、時効事件の捜査を趣味としている。この設定自体、正しいといえば正しいし、一見正義である『コールドケース』を批判的にとらえた設定であるともいえるだろう。そもそも「時効」という概念自体への疑問を投げかける。時効になれば、罪は消える。そうなのだろうか? 事件がどこかで事件では無くなるこうした意味、社会システムの枠組みを揺さぶってみせるのが、だれあろうこの主人公、霧山修一朗なのだ。

こんなふうに考えるきっかけになったのは、第1話で三日月しずか(麻生久美子)を、週末に趣味の時効事件の捜査に誘うシーンで、霧山が自転車に乗って現れるシーンがあったからだ。オダギリジョーが乗り慣れないせいなのか、歩く三日月と併走するからなのか、とにかく揺れるのだ。この揺れ揺れが、霧山の性格、役割を表しているのでは無いか? それは言い過ぎに違いないけど、このシーン是非視聴してほしい。

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