テスラで行こう

一昨日、つまり2020年7月1日にテスラ(Tesla)の時価総額がトヨタを上回り、自動車業界のトップに立った。テスラはアメリカの電気自動車(EV)メーカーとして有名だが、その販売台数はトヨタの3%程度しかない。つまり、僅かな数の自動車しか売っていないにも関わらず、世界でもっとも価値が高い自動車メーカーになったわけだ。これは自動車業界の新旧交代を鮮烈に印象付けている。

電気自動車は環境に優しく、燃費が良く、性能が高い。化石燃料を爆発させないので、大気を汚染せず、極めて静かでもある。燃費(電費)はガソリン車より遥かに良く、半分に抑えることも可能。構造が単純なので故障しにくくメンテナンスも簡単。そして、0-100km/h加速では何億円もする高価なスーパーカーより速い。ガソリン・エンジンなどの内燃機関は、騒々しく野蛮で複雑、そして愚鈍な恐竜のようだ。

ただし、テスラの真価は電気駆動ではなく、自動運転だろう。クルマは移動手段であって人を煩わしてはならない。テスラの目標は、目的地を設定すれば後は寝ていても構わない完全自動運転であり、そのためのハードウェアを搭載している。もっとも現時点では完全自動運転は開発途上であるし、特に日本では旧態依然とした法律が邪魔をする。だが、人が運転しないことを目指す姿勢こそが重要だ。

テスラは人に依存することを愚の骨頂だと考えているに違いない。従来のクルマが事故を起こすのは運転者の誤操作や不注意であり、危険運転や飲酒運転など狂気の沙汰も人間だからだ。トヨタなど旧来メーカーは「運転する楽しさ(Fun to Drive)」を嘯いて、人々を使役に駆り立て、交通事故に陥れ込れてきた。これは大きな欺瞞であり、もはや通用しない。運転が不幸を巻き起してはならない。


トヨタのCM(1984年)

かく言う筆者は、昨年の秋にModel 3の試乗に出かけたところ、その日のうちに契約していた。それは「ほとんど何もない」ことに感動したからに他ならない。運転席にはハンドル、レバー、ペダルにタッチ・スクリーンが備わっているだけであり、清々しいまでの潔さがある。いずれ自動運転になるのだから、人が操作するための装備は要らないと言わんばかりだ。

Model 3の運転席(tesla.comより)

そして12月下旬に自転車の調査旅行があったので、納車を年明けに延期したのは皮肉と言うしかない。その時のライドで安全装備のない軽トラックに追突されて大怪我を負ったからだ。これがテスラなら自転車を検知して自動的に衝突を回避していただろう。フェンスがない狭いトンネルであっても、運転手がよそ見をしていても大丈夫だ。危険な道路と愚かな人間に対処するには賢い機械しかない。

周囲センシングのイメージ(tesla.comより)

衝突回避などの安全技術に各社が取り組んでいる中で、その最右翼はテスラだろう。それが業界トップの時価総額に示されている。電気自動車としての過剰なまでの運動性能も、自動運転でのタイムラグのない車両制御のためだと考えれば合点がいく。道路の安全整備や運転者の安全意識も大切だが、真の交通安全のためには、走る凶器であるクルマ自体を変えなければならない。

繰り返そう。テスラは電気自動車だが、真に重要なのは自動運転だ。つまり、人間が運転する愚かさからの脱却だ。機械は完璧ではないにせよ、人間よりも遥かに適切に運転をし、安全で協調的な社会をもたらす。思い出そう。私たちは運転をしたいのではない。移動をしたいのだ。親しい人を訪ね、美しい風景に出会いたいのだ。それは人を傷つけ、環境を破壊することではない。

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