[Cyclist’s Cycles 自転車家12ヶ月] 4月

2020年4月19日 フィールドノート

前日の夜に降った雨は朝方には降り止んでいた。路面はまだ乾いていないので、空気はひんやりとしているが体感気温は低くはない。クロモリフレームのロードバイクを部屋から出し、出発前に空気圧の調節をする。

今日走る予定のコースと、雨で濡れた路面の状況をイメージして、前後とも空気圧は120psiとした。雲間から太陽が照ると体感温度はグッと上がった。空気入れに少し手間取って、ライド開始予定時間を5分ほど経過し、午前10時5分、ライドを開始した。

この日のライドは、Critical Cyclingによる第1回の「新型グループライド」。筆者は京都市左京区静市市原町にあるコンビニエンスストア「ローソン」に移動して、補給食と飲料水を購入してからヒルクライムを開始する。貴船神社方面と鞍馬寺方面の分岐を通って鞍馬寺に至り、そこからさらに山道登り花背峠(標高759m)までのコースを走りはじめた。

同じ日の同じ時刻、京都からおよそ120キロメートル、通称「岐阜のマチュピチュ」と呼ばれる、茶畑を見下ろす風景で有名な岐阜県揖斐川町春日六合へ向かうヒルクライムを、この新型グループライドに参加する2名がそれぞれ走りはじめていた。

参加者はGoogleマップの位置情報共有を使用して、スマートホンから位置情報を発信している。ライドに参加せずにグラウンドコントロールを行うメンバーは、参加者の現在位置をモニタリングしている。音声でグラウンドコントロールに呼びかけると、位置情報は正常に走行位置を表示していることが確認できる。

「鞍馬温泉」の看板を過ぎると木立の間の道に入り、木の隙間からは日射しがさしている。岐阜を走るメンバーから声をかけられ、こちらの様子を返答する。徐々に勾配がきつくなりはじめると、グラウンドコントロールからの音声が途切れたことに気づく。スマホを確認すると、電波状態が悪くなっていた。他のメンバーからの声は聞こえなくなった。

ここから峠のピークまでは一人の時間だ。しかしこの道で自転車を走らせているのは自分一人ではない。花背峠にも他の自転車がおり、岐阜の地でも登坂している自転車がいる、そのことを体感している。前方を登坂している自転車がいる。ゆっくりと横を通りすぎながら「こんにちわ」と挨拶すると「こんにちわ」という声がかえって来た。今頃マチュピチュに向かっているメンバーが挑んでいる坂の勾配は、自分が登っている勾配と比べてキツいだろうか、緩やかだろうか。

国道477号「百井別れ」を過ぎ、つづら折れを乗り越えて進むと、後方から「メロディバス」が接近してきた。道路が少し広がったところで速度を落としてバスと後続車をやり過ごしてから、少し水分を補給する。気温は少しだけ寒く感じる。足が若干軽くなったように感じるので、少しだけペダルを踏む足のトルクを強めてピークを目指す。しかし、後ろから来た早いロードバイクに軽やかにかわされていく。

到着した花背峠のピークに設置された気温表示は9度。目線を下にやって路面を見つめながら息を整えてから、もう一度顔を上げると10度を表示していた。自分以外には峠には先ほど追い抜いていったロードバイク乗りが休憩をしていた。

スマートホンを見ると、電波が復帰しており、Googleマップが現在地を送信していた。グラウンドコントロールとは音声はつながっていないが、おそらく峠を登った事は把握されていると推測した。

時間を見ると11時20分。この位置では電波状況が悪いため、ライドの予定終了時間までに他のメンバーとコミュニケーションをとるために、峠の登ってきた道を降りることにする。もう一人のロードバイク乗りの横を通り抜け、お互いに「お疲れ様」と声をかけて道をゆっくり下りはじめる。

峠を下りて鞍馬寺の門前に到着し、ここでグラウンドコントロールや参加者との通信を回復させる。岐阜でヒルクライムしているメンバーも、まもなく坂を登り切るところだった。

グラウンド・コントロール画面

4月

自転車に「乗る」ことを「書く」ことは、自転車を対象とした文化人類学のエスノグラフィーでもある。エスノグラフィーとは、調査・研究の方法だ。本記事の前半に記載したのは、ある日の自転車ライドを調査として記録する「フィールドノート」作成中の一部である。

自転車に乗ることは、現場を内側から理解する方法となる。自転車に乗る身体を通じて出来事の詳細を記述する。自転車に乗る環境を内側から理解し、概念としてモデル化する。そのような「自転車エスノグラフィー」で自転車を社会的な関係の中で論じることが可能になるかもしれない。

だがしかし、自転車に乗る、ということを対象とするのは少々大雑把すぎるかもしれない。生活の中で日々の買い物の荷物を運ぶことから、非日常の場所でひたすら遠く早く走ることまで、自転車に乗る範囲は世界中に拡大してしまう。そこで、この記事がこれまで用いてきた世界の絞り方は「自転車家」という人物像を仮に定めて、その目線を使って季節や天気と共に走ることを「自転車家の現場」として描く、ということだ。

もしかすると、要するに速度が速くて値段が高そうなロードレーサーに乗る「ガチ」の自転車乗りのことを自転車家と呼んでいるのではないのか、という問い掛けがあるかもしれない。もちろん、そのような人物のことも「自転車家」であると言っているつもりはある。しかし「自転車家とは誰のことか」という問いに対して「ガチの人」だけを想定しているわけではない。

もともとロードレーサーは競技用の機材を指す。しかし、競技として自転車に乗っているわけではない人のことも「ロード乗り」と呼ぶことがある。自転車家の人物像を輪郭をもった線で描かなければ、そこに差異は有るのか、無いのか、それすら判別がつかない。そのために筆者は「ロード=道路」を用いることが出来ないかと考えた。

(来月につづく)

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