自転車と放蕩娘 (6) 「磯崎新の謎」展と大分輪行

女性と自転車という切り口で連載を始めて、6回目。そのきっかけとして挙げたのは、ロードバイクで出かける時に感じる個人と集団の絶妙なバランスだ。郊外を走る非日常の体験は、ジェンダーよりも自身が個であることを意識させ、ほどよいバランスを取り戻すことができるのだ。これに対して輪行は、極めて社会的な行為だ。まず、公共交通機関に自転車を畳んで持ち込むところから始まる。そこまでして自転車に乗らなくても、という考えが頭をよぎることもある。だが、日常と旅を地続きにするような発見に惹かれ、気づいたら輪行を重ねるようになっていた。そして、飛行機で大分への輪行を思い立った。

[磯崎新の謎]展〈いき〉篇(2019年9月27日〜11月24日、大分市美術館)

今回大分を目指したのは、大分市美術館で開催された[磯崎新の謎]展〈いき〉篇を観るためである。磯崎の生地でもある大分市内には、岩田学園(1964年)やアートプラザ(1998年)をはじめ、磯崎建築が点在している。街の地形や雰囲気を味わいながら訪ねるには、自転車がちょうどよい。

大分空港到着時の自転車

中部国際空港から大分空港までは1時間15分。空港で手荷物として自転車を預けたところ、他の荷物とは別に丁寧に扱ってもらえた。バスに自転車を乗せてJR大分駅までは65分。そこから市内を15分ほど走り、最後の坂を登り切れば大分市美術館に到着する。人混みの中自転車を運ぶこともなく、空港から目的地まですんなりと移動できる快適な旅である。

映画館をディスコに改装した《パラディアム》の再現の様子
プロジェクションされているのは篠山紀信が同所を撮影した「シノラマ」

「磯崎新の謎」展は、「間」展(1978年)、「MANtransFORMS」展(1976年)、第14回ミラノ・トリエンナーレ《エレクトリック・ラビリンス》(1968年)のほか、《パラディアム》(1983-85年)や秋吉台国際芸術村のコンサートホール(1998年)など、磯崎が手がけた空間を追体験できる展覧会であった。雑誌の誌面や写真、映像など様々なメディアによって流通した磯崎の思想が一堂に会し、再構成されていた点が目を引く。

《エンジェルケージ》の再現の様子

菅章館長によると、展覧会の再制作には現在の技術や解釈が多分に含まれているという。例えば、「MANtransFORMS」展の出品作《エンジェルケージ》(1976-77年)のモンローカーブは、地元企業で真鍮を加工できるところを探して制作している。ガラスを反らせて橋に見立てた作品《はし》(1978-79年)は、当初のコンセプトを現在の解釈で再構成したものだ。回顧展ではなく、再構成の手つきを想像させるところに、生きている思想を見た気がする。

アートプラザ(旧大分県立図書館)

建築は都市の中に生きている芸術だ。それを実感させてくれたのが、大分市内の磯崎建築である。今回自転車で訪ねたのは、アートプラザと岩田学園、かやしま内科の3箇所。城下町の雰囲気やゆったりと流れる大分川の眺望を楽しみながら、半径2km圏内にこれらの建築を観てまわることができる。

教室として使われている岩田学園1号館

初めて訪ねる都市を日常のスケールに引き寄せてくれるのが、輪行の醍醐味だ。特に、自転車で下校途中の中高生に交じって舞鶴橋を渡り、岩田学園に到着した時の感慨は忘れられない。岩田学園は1964年に竣工され、現存する磯崎建築の中では最初期の作例であるが、その後増築され、今も変わらず使われているのだ。日が暮れかけ、教室の灯りが目立ち始め、コンクリートの壁とコントラストをなしていた。敷地内に様々な様式の校舎がゆったりと立ち並ぶ様子から、対話する建築と言われるのもうなずける。下校途中、川沿いのベンチに腰を下ろしておしゃべりしている中高生たちののどかな光景が印象に残った。

舞鶴橋のたもとにて

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