近年に制作された少女(または女性)と自転車をめぐる映画を3本を紹介する。必ずしも対比的に選んだわけではない。そもそも自転車の映画は少ないし、その中でも女性が主役である映画となると、さらに限られる。ざっと調べてみても、ロード・レースやメッセンジャーといったモチーフが多く、つまり、速い、強い、機敏、など男性原理っぽい映画だ。そのような傾向の中での女性自転車映画となる。
少女は自転車にのって(2012年)
お転婆な10歳の少女が自転車に乗ろうとする物語、と聞けば凡庸だが、舞台は厳格なイスラム社会。戒律と慣習によって女性の地位は低く、行動が制限されている。少女が自転車に乗るなどもってのほか。だが、少女は苦手なコーランの暗唱を懸命に練習して、コンテストで優勝を目指す。その賞金でお気に入りの自転車を買い、幼馴染の少年と競争するためだ。
自転車はここでも自由の象徴だが、途方もない岩盤に穿たれた小さな楔でしかない。監督のハイファ・アル=マンスールは女性で、映画の少女を地で行く、いや、その何倍もの苦労があったことは想像に難くない。だが、この映画がサウジアラビア初の女性監督作品として結実したように、女性たちが自らの手で自らの社会を変えようとしている。それは母親が託した自転車に少女が乗るラスト・シーンに現れている。
私たちのハァハァ(2015年)
お気に入りのバンドの出待ちで「東京に来てください」と言われ、それを真に受け、あるいは口実にして北九州から東京でのライブへ行こうとする4人の女子高校生。それもセーラー服でママチャリや小径車に乗って出発する無茶ぶり。やたらとハイテンションで嬌声をあげる。気合いとヤバイの連呼。24時間ほどで広島までの約200kmを走破。「東京着いちゃうよ」「こっちが現実」と叫ぶ。
ハンディカムでの自撮り映像が多用されるが、これはドキュメンタリーではない。ルートから外れる角島大橋のシーンなど、ご都合主義も見え隠れする。広島を出るとさっさと力尽きて倒れる。以降はヒッチハイクとバス。特に描かれることもなく自転車は捨てたと言う。自転車は脳天気で無鉄砲な女子高生の小道具でしかない。思い入れは皆無。自転車は靴以下。それは正しい。筆者もそうだったから。
南風(2014年)
少女とは言い難い26歳の女性編集者が雑誌の取材で台湾を訪れ、台北から台中の日月潭まで約300kmを自転車で走る。失恋して仕事にも悩む主人公が、無邪気で勝ち気な台湾少女に案内され、優しいが優柔不断な台湾青年が合流する。九份、基隆、富気角、淡水、永安、新竹、通霄、龍騰、鹿港、九曲巷、集集など美麗な光景が続く。ちょっとセンチメンタルなシャレオツ観光ムービー。
ママチャリとパンプスは、途中でマウンテン・バイクとスニーカーにアップグレードされ、走りが全然違うと歓声が上がる。ただし、ノースリーブやジーンズはそのままで、サイクル・ウェアには手を出さない。全編に渡ってGIANTのオンパレードで、何故かエンディングは愛媛県にジャンプし、しまなみ海道で3人が再会する。露骨なスポンサーシップではないが、自転車業界や観光業界の思惑が見え隠れする。
以上のように、10歳の少女だけ社会状勢が極端に違うが、それだけに真摯な眼差しと意表を突く行動力に感嘆する。その願望の対象が自転車であるのも象徴的。一方、18歳の自己不安と集団暴走、そして26歳の孤軍奮闘と癒し願望は、一断面に過ぎないが、現代日本の典型に思える。ここでは自転車は道具でしかない。これらの女性性とは何だろうか?自転車は朴訥として佇んでいる。