自転車に乗ったあいつ、という生き物を撮る

友達が自転車に乗っている姿を写真に撮るのが好きだ。人が動いているのを見るが好きなのだと思う。動きには、それぞれの身体特性、蓄積した癖、その時の心の状態が表れてくる。

自転車遊びの写真は無人の車体と風景の組み合わせになりがちだが、「自転車に乗っている人」を撮る場合、自転車はもはやじっくり眺めるための展示物ではない。それは「拡張された人間」という生き物の一部として、運動の中に溶け込んでいる。

自転車と一体になったその人、という生き物を捉えたい。一人ひとりの身体と力、技術、リズム、顔だけではない表情とオーラ。あれもこれも溶け合ったその人「らしさ」が表出した瞬間をカメラで捕まえる・・・頭ではこんな風に考えているがなかなか難しい。

「撮る」という行為は「共にいる」場に持ち込まれる異物だ。できることなら、心理的に近い距離から、撮られていることをなるべく意識させずシャッターを切りたい。もちろんカメラを向けられていると知って反応を返してくれるのも嬉しいものだが。

ありのままのその人を、となると、結局のところ自分が自然と先行していて振り返るタイミングが最も好条件で、構図も割とそこからのものに偏ってしまう。これはこれとして深めつつ、もっと撮り方を広げたいと今は考えている。道具はもちろんのこと、生き物としてのその人がよく表れる動きの探求も含めて。

遠くへ、遠くへと駆けようとする生き物。登り、担ぎ、越えていこうとする生き物。説明のつかないものでもいいし、一つのものでなくたっていい。スポーツ要素の強いサイクリングに自分が感じる魅力はそこに集約されるように思う。

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