自転車と放蕩娘 (23) ライドから考えるアートとジェンダー

梅雨の晴れ間、久しぶりにロードバイクに乗ってみた。と言っても、野暮用で近所を走る程度でしかなかったが。それでも、行き先ではなく乗ること自体を目的に、走り出しからスピードに乗るまでの風を切る音やブレーキをかける感覚を味わうのが好きだ。走り去っていく風景よりも自身の五感に注意を向けると、ふと川沿いの湿度の厚みを思い出したりする。時間ができたら、杭瀬川周辺に出かけてみたい。今年は蛍を見られるだろうか。

自転車に乗る楽しみのひとつに、日常が非日常になることがある。たとえば、ロードバイクならば五感が研ぎ澄まされるし、折りたたみ自転車での輪行では、日頃の行動範囲の意識を遠く離れた場所に接続することができる。私はこうした体験を、作品を読み解いていくことのメタファーとして捉えている。私にとって自転車は単なる移動手段を越えて、芸術体験の記憶を取り戻すための媒介になっているのだ。

京都国立近代美術館ウェブサイトより

現在、京都国立近代美術館で開催されている「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」展もまた、映像インスタレーションを媒介に身体やセクシャリティをめぐる個人的な記憶を呼び覚ます装置となっている。観客は、まるでミュージック・ビデオを視聴するように音楽を楽しみながら、ベッドやテーブル、ソファなどの家具に投影され変化する、色とりどりの映像に包み込まれる。パブリックな空間にいながらプライヴェートな感覚を想起させ、作品と日常の区別が薄れていくが、紛れもなく作品体験として機能していることに驚かされ、考えをめぐらせることになる。

《Ever is Over All》展示風景(筆者撮影)

ピピロッティ・リストは1962年、スイス生まれの女性作家。1997年、ヴェネツィア・ビエンナーレで受賞した代表作《Ever is Over All(永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に)》で知られる。青いワンピースを着た女性が花(クニフォフィア)の形をしたハンマーで車の窓を叩き割りながら歩く様子が二面スクリーンの片面にスローモーションで映し出され、もう片面に投影されたクニフォフィアのクローズアップや鳥の声などが混じり合う。暴力的な行為だが、気負いや緊迫した様子は感じさせず、現在の鬱屈した状況を変えていくようなポジティヴな感覚に救われる作品だ。

彼女の作品には、ポジティヴなユーモアだけでなく、ともすれば自閉しても不思議のないような痛みや性的なモチーフが繰り返し登場するのだが、それを会場に居合わせた複数人が同時に鑑賞するところにも特徴がある。作品を通して各自が自身の記憶に思いを巡らせながら、他者を想像することを許容する空間になっているのだ。個人的には、この感覚は少人数でのグループライドを楽しむ感覚に近い。さて、どれほどの共感を得られるかどうか。

参考:5月5日(水)に行われたギャラリートークの様子(京都国立近代美術館インスタグラムアカウント

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