子供と親の自転車参与観察

吉本興行のお笑い芸人、小籔千豊による動画「フォートナイト下手くそおじさん」というYoutubeチャンネルがある。

小籔は自分の子供に勧められて渋々、テレビゲーム「フォートナイト」を始めてみたところ、面白くてゲキはまりしてしまったという。次第にゲームが上手くなりたいと思い、上記のチャンネルを作って上手くなるためのモチベーションとしており、配信では視聴者とチームプレイをしたり、自分の息子と一緒にゲーム配信を行うなど、人気のコンテンツとなっている。

親子で同じゲームをプレイしながら、音声チャットで「アイテムいりますか?」「ありがとう」「敵、激Lowです※」(※相手プレイヤーの体力があと一撃で倒せるぐらいまで削られている状態)「ナイス!」などと、ゲームプレイをしながらスポーツさながら声を掛け合うコミュニケーションを見ていると、こちらも楽しくなってくる。

このコンテンツの大切なところは、親が子供のプレイしているゲームに参与することなくしては成立しなかったことだ。外部からゲームを語る視点を設定して配信するのではなく、自らがゲームプレイヤーとなることの中から視座を見つけ出していくような、ある種の人類学的取り組みだということが重要なのだ。

さて、親子で共通する趣味や遊びといったものは時代時代によって動的に移り変わっているかもしれない。そのような移り行く媒質のひとつとしての自転車に乗ることは、現在どういったものとしてあるのだろうか。そのこともまた、親が子が自転車に乗ることに共に取り組んでいることの中から見えてくるのかもしれない。


筆者が自分の子供のために自転車を購入したのは、2014年のことだった。子供が乗る自転車を、自転車ショップに行って選ぶところから一緒にやった。その時に子供が目をつけたのは、ルイガノ・ブランドの子供用自転車だった。自転車を選んで、所有して、乗ってみる、一連の過程を体験することで自転車を手に入れてもらいたいと考えて、一緒に選んだ一台だった。

自転車ショップでの納車

納車された自転車にさっそく、子供は名前を付けていた。子供にとって名付けをすることは、道具を己の子供のような存在にしているようだった。それからよく筆者と子供と「エリーちゃん」の3人で、一緒に出かけていくこともあった。

乗り始めの最初は公園の周回路を走ったり、人のいない時間帯には小型パイロンで自前の練習コースを作って練習を繰り返していった。補助輪を外すまではそれほど時間がかからなかったように思う。思えば親の焦りもあったのかもしれない。その理由は、補助輪無しで走れるようになれば一緒に近所のパン屋まで自転車で一緒に出かけられるようになったら、という願いが膨らんできていたからなのかもしれない。

しばらくして、補助輪を外してもらうためにショップに行くと、そこには筆者好みのバイクが店頭に飾ってあるのをめざとく見つけたが、しかし今はその時ではない、と気持ちを押さえる。自分ひとりだけなら危なかったかもしれない。いま、自転車にのる主人公は子供である。だが、そこで見いだすこともできるのは「子供と同じスピードで走れる自転車を組んだり買ったりしてみたらどうか」という視点である。

めでたく補助輪を卒業して「2輪車」となった子供の自転車を車のトランクに積んで、そのまま舗装路コースのある公園へ出かけたり、走行練習を繰り返した。路上教習にもいずれ出ていかなくてはならない。自転車を体の一部のように扱えるようになるために、また、子供の目線で見た安全なルートを考えるという視点の発見もあった。

補助輪は取れたものの、まだ完全な自走をするには心許ない走り方である。それからしばらくの間、公道を走るときはというと、筆者は中腰のような前傾姿勢になって、子供の自転車のサドル後部に手を添えて、子供には自分のスピードで走って良いといって乗ってもらっていた。

筆者が子供の自転車の後ろをついて走っていく姿勢は、ロードバイクの下ハンドルよりもキツい前傾姿勢となり、子供が自分のペースで漕ぐ自転車スピードに合わせて走りながら、掴むのではなく押して安定させるようなイメージで、なるべく最小限の補助で走りつづけた。この手押し車のようなやり方は、足が後輪に接触しないようにしなくてはならないし、練習方法としての安全性はあまり良いものではなかったかもしれないという反省は残った。


補助無しで乗れるようになった時のことは、割とスムーズだったように記憶している。

ある日、徐々に直進の安定性が上がってきているのが、サドルに添えている自分の手に感じられてきた時、走りながらふと手を離してみた。子供がペダルを漕ぐ自転車は、そのまますうっと滑らかに前に向かって滑るように進んでいった。後ろから「自転車乗れてるよ」と子供に言うと、「うん」という、何とも当たり前のことをやっただけだ、という返事をしながらそのまま何気なく補助無しでの走行へと移行していった。ブレーキングもできていた。

スラローム練習

子供はこのときにもう幼稚園に通う年齢に育っていた。筆者は男性で、子供が生まれる前に自分のお腹の中にいる間の苦労や、出産時の緊迫する状況を、自分自身では体験していない。そんな筆者ではあるが、この時は一人の「新しい自転車乗り」を産んだ、とでもいうような気持ちで、臍の緒が切られたようにするするとペダルを漕ぐ子供を見ながら、腰の後ろ側の張りと痛みを誇らしく感じていたように思う。

子供が生まれるまでのロードバイクでの激しいトレーニングを厭わない、痛みこそが成長、と日々ロードに乗っていた日々からは離れ、休日には夜明けから日が暮れるまで自転車で走り続けるような乗り方からは距離ができていた。子供を自転車に乗れるようにするためとはいえ、この日までの子供自転車への参与は自分がロードに乗る時間を失っていることは、言ってしまえば精神的な痛みだったことも否定はできない。だがそれは、自転車親になるために必要な痛みではあった。

もちろん、子供が自転車に乗れるようになったのは、子供自身の努力のあってこそであり、怖さやコケた痛みを乗り越えたからこそ、自転車に乗れるようになったのだ。自転車のフレームには、痛みの媒質が流れているのかもしれない。痛みはいずれ形を変え、喜びや達成感となる。それは自転車に乗る人の多くが覚える感覚に通じている。

こういう言い方もあるかもしれない。子供が自転車に乗れるようになることで、私は親にならせてもらった。


そして、ある程度子供が一人で安全に自転車に乗れるようになってくると、いよいよ公道にも出ていった。相変わらず私はランでついていく方式だが、近所のパン屋までも到達することができた。

パン屋 距離約800メートル

徐々に距離を伸ばし、二人でそれぞれ自転車にのって出かけられるようにもなった。このようにして、人間2名と自転車1名だったのが、自転車乗り2人での旅路へと進化した。こうして私自身が子供を自転車に乗れるようにする、自転車親としての参与は第1段階を終えることができた。

徐々に距離を伸ばす。目的地をパン屋にする。これらはいずれも私がロードバイクに乗り始めた時に試みていたことだった。小さな形であっても自分がやってみたことを伝えてみる、それが一番だし、それしかできないと考えたからだ。

池の周回路 距離約1.5キロメートル

さて、その後生まれた二人目の子供が自転車に乗るまではというと、これはまた違ったプロセスとなった。最初に自転車に乗せる時にはまず、足漕ぎ自転車STRIDERから始めることにした。これだと補助輪もつかわず、私が前傾姿勢で自転車の後ろを走り続ける必要もなかった。結果的にその子供もスムーズに、補助輪を使わないまま自転車に乗ることに成功した。

この方法では一人目に比べると自転車練習にかける親の仕事量としては半減した。乗る方も乗せるほうも痛みが小さくなって成果が大きくなるならそれに越したことはない。しかも、子供同士でのお手本もいる環境となり、見て真似する対象があるからか、感覚値ではあるが30〜50%ぐらいの練習時間で二人目は乗れるようになったのではないだろうか。

子供を自転車に乗せるやり方に正解はなく、いろいろあっていいのだから、これもまたよいだろう。ただ一人だけで苦しむだけではなく、誰かと共にタイヤのラインを引いていく、そのような喜びの媒質であることも、親子の自転車にとっては欠かせないものである。

ある時のことだが、STRIDERに乗る子供に「練習にいこう」と誘うと、帰ってきた言葉は「練習じゃないよ、本番だよ」だった。練習、と肩肘を張っていたのは私のほうかもしれない。参与しているつもりで大人の視座から教示をしていたのかもしれない。楽しむことに練習も本番もない。子供に「僕は常に本番だから、お父さんも楽しみなよ」と教えられた気がした。私はロードに乗ることを諦めていたのではなかった。彼らとまた、途方も無い距離を走ってみたいというモチベーションを持つことこそが、本番へと向かうために必要だった。

これは、私自身にとってのサイクリングライフの一端である。まだこれから先、どのような自転車を通した親子のライドがあるのかわからないが、引き続き自転車を通して子どもたちのサイクリングへと参与し続けることを、親はもうついてくるなと言われるまでは、継続していく必要があろう。

これからもよろしく。

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