情報科学芸術大学院大学 紀要 第12巻「新型コロナウイルスと自転車」

情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の紀要、その2020年度版にあたる第12巻が先日刊行された。その特集は「COVID-19以後のメディア表現研究」と題して、全世界を一変させた新型コロナウイルス感染症に対するIAMASでの取り組みを紹介している。これには、バイオ・アート、クラブ体験、福祉技術、舞台作品、イノベーション、建築など、多岐に渡る研究や表現が含まれる。

クリティカル・サイクリングからは「新型コロナウイルスと自転車」として数ページを寄稿している。もっとも本サイトで既に様々な実戦や考察を公開している。そこで紀要に「まとめサイト」の役割を求め、1年間の取り組みを俯瞰した。さらに、実践事例として新型グループ・ライドについて論考している。ちょうど良い活動紹介となるので、以下に、そのテキストをWEBサイト向けにアレンジして掲載する。


新型コロナウイルスと自転車

赤松正行、松井茂

2019年末に自動車事故に遭い、2020年3月末まで入院していた。新型コロナウイルス感染症の世界的な大流行が始まった時期に重なり、病院では次々と感染防止策が強化されていた。医師や看護師は常時マスクを着用し、入院患者には随時手洗いと消毒が求められた。病院の出入口が封鎖され、来院者に検温と消毒が行われ、やがて面会禁止に至る。言わば病院のロックダウンであり、外部との接触が最小化されたわけだ。

一方で、病院の外の一般社会は無頓着だった。外出許可を得て訪れたIAMASでは僅かな人しかマスクをしておらず、声高に話し合っていた。厳格な入院生活を送っていた者からすれば恐怖を覚えるほどだ。すでに海外では猛威をふるっていたにもかかわらず、インバウンド需要など経済活動を優先した政府の対応は遅れ、人々の危機感は薄かった。もっともIAMAS近郊では2月末に初めて感染者が確認されたように伝搬が遅かったのも確かだ。

これは自転車でも同じで、国内メディアでは海外の自転車レースが中止されたといったニュースが流れる程度でしかなかった。自転車関連の公的機関や民間団体も、何ら指標を示さない。そこでクリティカル・サイクリングでは海外の状況をオンラインで調べ、自転車利用時の感染予防策を「新型コロナウイルスと自転車:予防編」としてまとめた。この種の記事としては日本で最初と思われるが、それでも3月20日のことだ。

このクリティカル・サイクリングは自転車に乗ることを楽しみ、その批評性を追求する任意グループとしてIAMASを中心に2016年4月より活動をしている。誰もが新型コロナウイルスに大きな影響を受けているので、クリティカル・サイクリングも無縁ではいられない。いや、むしろ新型コロナウイルスと自転車を通して、メンバーそれぞれの立場から生活や社会に対して実践的に取り組み、考察する機会が増えたと言えるだろう。

クリティカル・サイクリングのWEBサイトを「新型コロナウイルス」で検索すると39の記事が見つかる(2021年2月28日時点)。最初の記事以降、本稿執筆時点での記事総数は108なので、36%もの高い割合だ。その中には枕詞的に簡単に触れた程度の記事もあるが、新型コロナウイルスと自転車を主題に据えて調査や考察を展開した記事も多い。タイトルや文章の冒頭抜粋から内容を推測できるだろうが、ぜひ実際の記事にもあたって欲しい。

さて、3月から4月にかけて外出や移動が制限されるようになる。この時期の記事には、空想の自転車旅行を計画した「[輪行しませんか?] エア台湾編」や、数年前に出版された写真集を眺めて感傷的になる「素晴らしき自転車ライフ」がある。一方で過度な自粛の弊害から適度な運動が必要とされ、混雑を避けて一人で郊外に自転車で出掛ける「自転車と放蕩娘 (10) 自律分散型社会のための思考訓練」なども綴られている。

5月には、次第に明らかになってきた自転車に乗る際の注意点をまとめて「新型コロナウイルスと自転車:ライド編」を著した。しかし、それでも友人と一緒にライドする際のリスクが残る。そこで、離れた場所にいてもオンラインで繋がって一緒に走っている感覚を得る仕組みを考案して「新型コロナウイルスと自転車:グループ・ライド編」で提案した。これは新型グループ・ライドと称して数回実施している。

新型グループ・ライドは自転車への情報通信技術の導入だ。しかも走行中の使用が想定されていないサービスや機器を手懐けなければならない。そこで「新型グループ・ライドのギア〜ビジュアル編」、「オーディオ編」、「Theta Z1で360度全天球映像のライブ配信」といった検証作業を行った。本来はグループであっても黙々と走るのに対して、このような過剰なコミュニケーションのあり方はまだ試行錯誤の段階だ。

ところで、海外では早い時期から安全で実用的な移動手段として自転車が注目され、専用レーンの整備が急速に進んでいた。そこで内外の情勢に詳しい識者を迎えて「新型コロナウイルスと自転車:道路編」を対談形式で記した。同じ問題を扱ったガイドブック「NACTOの街路のパンデミック、その対応と復興」も紹介している。もっとも日本では未だに旧態依然とした道路事情であり、変革の機運に欠けているのが残念だ。

誰もが痛感しているように新型コロナウイルスによって世界は一変した。困難や不幸は計り知れないが、一方で新しい世界を招き入れるチャンスでもある。そこでは古くて新しい自転車が、これまで以上に活躍するに違いない。バランスの復権を唱えるクリティカル・サイクリングもまた、実践と思索の場で在り続けるだろう。そのためにこそペダルを踏み、風をまとい、地平の消失点を目指したい。多くの方の参加をお待ちしています。(赤松)

新型グループ・ライド2020

この1年、Zoomを使っての授業、会議、研究会から、気楽な打合せまで、オンラインによるコミュニケーションが日常生活の一部となり、徐々に適応した。すこし疎遠になっていた人との再会など、SNS初期を彷彿とさせるコミュニティの再編があった。

Critical Cyclingにおいて、私のように自転車に乗らない参加は異端視されてきたが、Zoomを使用した新型グループライドの登場によって役割ができた。それはグランド・コントロール。要約すれば、走行音で音量がうるさくなったサイクリストをミュートする役割だ。とはいえ、ただスイッチャーをするわけでもなく、見ず知らずの人も含み、ミュートしたり、話しかけつつ、サイクリストを繋ぐところに、コントロールの意義がある。

特に、サイクリストでもある赤松武子さんと共に担当したグランド・コントロールは得がたい経験だった。私が戸惑っているのを尻目に、サイクリストの観点から、ライド中は活用が難しいGPSをサポートしながら、バラバラに走りながら、近距離にいるサイクリストを確認して、ライド時間中に合流を果たすような誘導もあり、ちょっとしたドラマを演出することにもなった。遠隔地からの参加者にとっては、物理的な合流があり得ないいっぽう、こうしたドラマツルギーを持った時間の共有がもたらす一体感は、独特のコミュニケーションをデザインしていると感じた。

Zoomの続編として、Clubhouseによるグループ・ライドも開催した。音声チャットのみの試みだ。結論からいうと、この場合、グランド・コントロールは必要なかったと思う。音声の入出力のノイズがとても制御されていることで、コントロールすべきノイズがほぼなかったのだ。逆から言うと、視覚情報がなくてノイズがない状況は、グランド・コントロール役にとっては、ライドの状況に関する手がかりがなかった。他方で、clubhouseならではの、聴衆からの発言や参加をもとめることを重視すべきだったかもしれない。あるいは、複合的なメディアの使い方を考えるべきだった。さらにはコントロールという中心を抜きにして、ほんとに気ままにバラバラに走りながら、発言したいサイクリストが適宜話すようなコミュニケーションもあり得ただろう。

Critical Cyclingの取り組みの中で、こうしたソフトウェアを活用したグループ・ライドの試みは、コミュニケーションの目的にあわせたデザインをはかること、「自転車に乗る」という行為を前提に成立する集団の属性を改変することに繋がると感じた。私が言いたいことは、集団を強化するということではないのだが、実際にはそれも可能だろうし、ビジネス・チャンスや具体的な政治性を持つことも想像される。

個人的関心の向きは、テーマ設定や、発話者の役割を入れ換えていく、ソフトウェアの複合的活用の設計を実践することで、サイクリストの母集団を、地域、世代、性別、傾向の偏りを改変しつつ、新陳代謝する。サスティナビリティをもった集団を形成していくことができるのではないか? いささか理想化しているかもしれないが、そんなことを夢想した1年だった。(松井)

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