移動貧困社会からの脱却

楠田悦子の編著、高齢者事故からモビリティを考える会の執筆による「移動貧困社会からの脱却」は、クルマを運転できなくなった高齢者の問題に対して、多様な観点から解決策を紹介する書籍だ。日本は融通がきかないクルマ至上社会であり、壮年期にクルマを謳歌した高齢者がクルマを諦めざるを得ないのは、確かに「貧困」なのだろう。そのような煽情的なタイトルの本書、まずは目次を見ておこう。

序章 痛ましい高齢ドライバーの自動車事故

第1章 移動貧困社会とは何か?
 第1節 乗り物は格段に進歩しているが……
 第2節 高齢者の自動車事故と運転免許返納問題
 第3節 弱者保護の意識を欠いた日本のドライバーと道路事情
 第4節 冷遇される車いすやベビーカー

第2章 危機的な移動手段
 第1節 クルマだけに頼った暮らし
 第2節 変わる家族のかたち、「家族タクシー」の限界
 第3節 公共交通が使えない移動難民

第3章 自動運転は「万能薬」か?
 第1節 自動運転の現状と可能性
 第2節 完全自動運転の実現にはまだまだ時間がかかる
 第3節 自動運転の利活用を目指した実証事例

第4章 移動貧困社会を乗り越える
 第1節 移動のために備えて歳を重ねる時代
 第2節 一人一人の身体機能や生活に合わせた移動を考える
 第3節 自転車を生活交通の中心に
 第4節 電動スローモビリティをうまく使おう
 第5節 安全な道路は地域でつくる
 第6節 世界の潮流はクルマ中心から人中心へ
 第7節 自家用車に頼らない暮らしを目指す「人のMaaS」
 第8節 移動しないという選択

本書は編著者が東池袋自動車暴走死傷事故の発生現場に居合わせたことから始まる。87歳の上級国民が96km/hもの速度で交差点に突入し、青信号で横断中の母子2人が死亡、加害者を含めて10人が重軽症を負った事件だ。加害者は自分の運転には非がなく、プリウスが勝手にミサイル化したと主張している。しかし、クルマに電気系統の異常はなく、加害者がブレーキとアクセルを踏み間違ったされている。

この事件に象徴されるように、能力が低下した高齢者がクルマの運転をしており、また運転をせざるを得ない状況が大きな問題となっている。本人が納得して運転免許を返納したとしても、自由に移動ができないために生活に支障をきたし、自尊心を大きく傷付けることになる。これは高齢者だけでなく何らかのハンディを持つ人も同じであるし、公共交通機関が少ない地方では都市部より深刻化する。

このような移動貧困社会の現状と問題点を、本書は第1章と第2章で明らかにする。そして、あまりにも悲惨で閉塞的な状況の解決策として、まず最初に第3章で自動運転を検討する。昨今はモビリティの花形として注目される自動運転だが、本書は実用までに時間がかかると考えているようだ。その理由として技術的な困難さ、個人情報悪用の危惧、法令整備の遅れなどを挙げている。

それではどうするか?本書でもっとも力が入った第4章では、今すぐに活用できる解決策を提案する。その一つは自転車であり、電動アシスト自転車だ。交通渋滞緩和や医療費削減など社会課題の解決策として海外では1990年代から自転車が活用されている。移動時の新型コロナウイルスの感染を避け、心身の健康を促進するなど、世界各地の事例を含めて詳細に自転車のメリットが語られる。

もう一つ検討されるのは電動スローモビリティだ。馴染みのない用語だが、電動車椅子、ミニカー、電動カート、電動キックボードなどを指す。その多くは運転免許が不要で、速く遠くといった移動はできないが、日常の用を足すには十分であり、気軽に利用できる。既に多くの商品開発や実証実験が行われており、シニアカーは過疎地域での高齢者の移動手段として見かけるようになってきた。

さらに第4章では、歩行者や自転車に安全で使い易い道路の再配分、クルマ中心から人間中心への世界的な潮流、自家用車ではなくクルマを共有するMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)、移動せずに遠隔交流するオンライン・サービスの活用、そしてドローンやロボットによる物流の未来などが紹介される。高齢者問題に限らず、クルマ偏重社会の弊害を乗り越える取り組みが数多くあることが分かる。

以上のように本書「移動貧困社会からの脱却」は、高齢者の移動問題を中心に今後のモビリティを検討している。内容は多岐にわたり、社会を改善する熱意に溢れている。ただ、批評性の少ない総花的な紹介が多く、必ずしも深掘りされていないので、自覚的に読み進める必要がありそうだ。とは言え、クリティカル・サイクリングで扱った事柄も多く、リファレンスとしても活用できるだろう。

ところで、最初のプリウス・ミサイル問題に戻れば、筆者(赤松)は電動スローモビリティでは解決できないと思う。低速であっても他者(モーター)の制御でしかない機構は、プリウスと何ら変わりがないからだ。一方、電動アシスト自転車は自身の運動能力の拡張であり、身体性が担保される点で大きく異なる。より積極的に体を動かしてバランスを取る自転車は、痴呆症の予防にも役立つはずだ。

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