[車輪の言葉、車輪の数] 18mm あるいは 20mm

 人類学者ティム・インゴルドは、「物質(素材)と想像力(作り手)との相互作用による応答」が、対象を観察をする上で大切にすべきことであると主張している。ただ漫然と見て記録するのではなく、人が身の回りにある素材に対して真剣に向き合い、そのありかたを受けとめて、素材とともに自らも変化を起こしていくことが重要である。「つくること(メイキング)」とは、このような応答=コレスポンダンスによって達成される、というのである。


 自転車に乗ることは私たちが生きる都市や社会を「つくること」にもつながっている。車輪はそのような現場を発見することができる素材なのではないか。



 ロードバイクのアイデンティティとして、ドロップハンドルのパブリックイメージは強い。それと同じくらいに個性の象徴となっているのは、細い車輪ではないだろうか。


 ドロップハンドルは乗る人と自転車のフレームをつなぐものであり、人と道具とのインターフェイスに位置している。一方で、車輪は社会的な存在である。


 ある時のこと、私が自転車で移動中にスローパンクが発生した。徐々にタイヤの空気が抜けていってしまう状態になり、このままでは走行できなくなってしまう。その時、道すがらに古い一軒の自転車屋が店先を開いていたので、誰もいない店内に向かって「すみません、タイヤのチューブを交換できませんか」と呼び掛けてみた。


 奥から丸刈りに眼鏡をかけた中年の男性がゆっくりと現れ、私の自転車のホイールを見つめた。「チューブですか」と問いかけつつそのタイヤを触りながら上から横から眺めて「この細さのチューブは、うちには置いていないですね」と応えた。


 それならば仕方がない。私は暗い自転車屋店内にひときわ目立つ鮮やかなチェレステの自転車が壁に掛けられているのをみて、ビアンキの自転車が置いてあるぐらいならママチャリ専門ということはなく、私の自転車のようなタイプにも応じられるのではないか、という期待を持っていたのだった。


 そしてチューブ交換はあきらめて、「すみませんが、他の修理できるところへ向かいたいので空気だけ入れてもらえませんか」と依頼すると、エアーコンプレッサーを使って空気を充填してもらえた。すぐにまた空気は穴から抜けてしまうだろうが、2キロぐらいなら持ちこたえられるのではないか、とまた次の店を探して走り始めた。


 しかし500メートルほど走ると、空気は抜けてしまっていた。どうやら2気圧ぐらいしか空気が入れられていなかったようだ。自転車屋の人には、タイヤの素材状態を見極めて、そのチューブは店にはないという応答はしてもらえたのだが、太いタイヤに比べて細いタイヤは高い空気圧が必要であるという想像力をもって応答することはできなかったようだ。

 だがこれは、細いタイヤは高空気圧で走るという物質的な応答を、知識としてしか社会と共有できていないことにも原因の一端はあるかもしれない。生きていればパンクは起こり得るものだ。知っているか知っていないかではなく、起こり得ることには相互に応答すべきだと、インゴルドなら言うのではないだろうか。


 ちなみに私は「パンクは自己責任」という持論をもっている。それはパンクしたときに他人に助けを求めてはいけない、ということではない。パンクは車輪を素材として真剣に受け取る大切な機会だと考えているからである。パンクの現場に向き合うことで、自転車に乗る人が安心してパンクできる社会とはどうあるべきかを考えるようになるだろう。



 パンク修理キットをつねに携行していない場合、自転車は都市的な存在だと感じる。都市の自転車を支える環境と一体となってはじめて、安心して自転車にのる環境を得ることができる。郊外や自然の中を走る場合にはパンク修理キットは欠かせない。都市におけるモビリティとして自転車を利用する場合には、都市の自転車への応答が支えてくれることも期待される。


 街中で自転車移動中に、ひとたび自転車を駐輪し、休憩や食事や買い物を行おうとしたとき、自転車と都市との接点にある車輪の社会性が浮き上がってくる。

 最近見かけるのは、車輪をロックするタイプの自転車スタンドである。このスタンドの仕組みは、前輪のリム前部にロックを輪っかのように引っ掛ける仕組みになっている。そして自転車を取り出すときは、車輪を挟み込んでいるロック部分から引っ張りだすことで解除される。

 この時に車輪の幅(リム幅)が細い車輪をもつ自転車はロックに対して接する面積が小さく、引っ張る力をかけづらい形になっている。そのため、うまく車輪を引き出すことができない場合がある。

 私はまたある時、ある場所の自転車スタンドで、この状態にはまった。タイヤをロックから抜き出すことができない。仕方なく緊急連絡先に電話をした。電話越しにオペレーターは「かまぼこ板のようなものがあれば、それをホイールとロックとの間に挟み、接する面を大きくとって、引き出すことができる」と説明した。


 そんなかまぼこ板を持ち歩いている人がいるのだろうか。私は持っていなかったので、半ば強引に自分の指を間に挟み込んで、もう片方の腕で自転車を引っ張り、無理やりこじ開けるようにすると、ロックが外れた。

 このやり取りと対応とに 10分程度の時間がかかったため、その間に私の駐輪無料時間は過ぎてしまった。私は100円の駐輪料金を払わなければいけなくなった。この点について、私は電話でクレームをつけた。リムの細い自転車にロックをかけてしまい、時間内に自転車を出せなかったのは私の責任ですか、と。

 すると後日、現金為替100円分が郵送されてきた。


 リム幅が一定の大きさ以下の車輪を持つ自転車は、前輪ロック式の駐輪場の使用に難がある、という知識はどの程度共有されているのだろうか。自転車ロックと細いリム、この二つの素材が出合い衝突する瞬間まで、残念ながら私はこの社会における自転車駐輪に応答できていなかった。後日、私はまたこの自転車駐輪スペースを訪れ、注意を向けてみたところ、社会の側からの自転車に対する応答はこのようなものであった。


 特定の装置でのみ発生する状況の可能性もあるので、別の場所をフィールドワークしてみても、やはり社会からの細いリムへの向き合いは同じようだ。




 このように、都市の駐輪設備にとって、細い車輪は特殊化されたものであり、一般的なものではないとされている。

 ロードバイクにおける環境も常に変容を続けている。車輪についても競技用や趣味用のロードバイクに使われるホイールのリム幅は広がっている傾向にある。だが、それは決して駐輪場の機械という物質に応えるためではない。そもそも、機械が自転車のリム側に強度を求めて、それを前提としてロック解除する仕組みを採用しているのは何故なのだろうか。自転車ロックとの衝突の影響でホイールが歪んだり、リム側が痛むということは想像しないのだろうか。

 社会のほうがこの細い車輪という物質に応答し、細い車輪の自転車でも街中で苦労なく移動ができるようになっていくのか。あるいは自転車乗りのほうが、パンク修理キットに加えてかまぼこ板を常に携行するようになるのか。

 人と社会の双方が変化をしていくことで社会はつくられるのだが、自転車乗りが、かまぼこ板を携行する社会を私は御免こうむりたい。そうではない社会であってほしい。だから私はこれからも自転車の上から街を観察することを続ける。

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