「サイクリング」「サイクリスト」のフレームの外へ

cycling と「サイクリング」はイコールではない。このことを再確認し共有する必要を、近ごろ強く感じる。COVID-19パンデミックを受け世界で盛んに交わされている自転車利用全般の話が、日本語に入ってくるなり「サイクリング」の話になっていることが少なくないからだ。今回はそのあたりについて書いておきたいと思う。

翻訳に気をつけよう

cycling は「サイクリング」に限らない、あらゆる自転車利用のことだ。スーパーへの買い物もそうだし、誰かに会いに行くのに使うのもそう。ある瞬間に自転車を利用している人は誰でも英語の cyclist に該当するが、日本語の「サイクリスト」からはこぼれてしまう。そのフレームにおさまらない自転車利用の豊かさこそ日本が世界から注目されている点なのに、である。

自転車で踏切待ちをしている老若男女の写真
筆者が Vision Zero Cities Journal に寄稿した文章 The Unique Safety of Cycling in Tokyo の表紙画像

cycling においては、自ら自転車をこぐことさえ最重要ではない。高齢者をリキシャに乗せてその人(たち)の馴染みの地域を回り場所の記憶を思い出してもらう Cycling Without Age などが端的な例だ。ネーデルラント(オランダ)の自転車文化を主題とするドキュメンタリー映画 Why We Cycle2019年に渋谷ヒカリエで上映した際も、原題に併記する邦題は『私たちが自転車を使うわけ』とした。

自転車利用者の肖像

cycling はあらゆる自転車利用を示す語だが、自転車利用の実態はむしろ英語圏の方が発展(回復)途上にある。だからこそ現状だけでなく「何を目指しているのか」を知ることが大事なのだ。その好例が#ChooseCycling というムーブメントである。British Cyclingがイギリスの自転車利用全体をデンマークに匹敵するレベルに引き上げようと始めたもので、ラファもこれに加わり世界展開を仕掛けている。

#ChooseCyclingにおけるラファのアプローチでは、個々人が「自転車を選択する」理由をSNS(主にInstagram)で共有し共感の輪を広めることが第一ステップとなっている。ただ今のところ、アップされている写真はロードレーサーで「サイクリング」する「サイクリスト」が殆どだ。これはスポーツサイクリングウェアブランドである同社のリーチできている層が限定的ということでもあるだろう。

バイシクル・エコロジー・ジャパンのBike to Work キャンペーンに参加した橋本ゆき渋谷区議の #ChooseCycling 投稿

ラファ・ジャパンでは自転車活用推進研究会、バイシクル・エコロジー・ジャパン、Cycling Embassy of Japanと連携し、幅広い自転車利用シーンをとらえたキャンペーン展開を目指している。誰もが当たり前に自転車を使っている日本のまちの光景は、それだけで世界に勇気を与えるメッセージになるのだから、皆様も是非ご自身で、また周囲の方に呼びかけて、#ChooseCycling のSNS投稿を盛り上げて欲しい。

「サイクリスト」と線引きしない戦略

翻訳の問題を超えた、「サイクリスト」という線引き自体の是非についても触れておきたい。

外来語を使う必要があるだろうか

英語を第一言語とする国の自転車利用は今のところ男性スポーツ層に偏っているが、英語はより広い範囲で通用する言語であり、全体としてみれば cyclist はあらゆる自転車利用者を包括する概念である。このことを根拠に、日本語における「サイクリスト」を同様の包括的概念として浸透させていこう、という立場もあるだろう。

しかし、そのまま「自転車利用者」等と言えば通じるところで外来語を使う必要があるだろうか? 「サイクリスト」の使用を提唱するのは「サイクリスト」を自認するごく限られた層で、他の大多数の自転車ユーザーは「サイクリスト」というアイデンティティーを恐らく必要としていない。連帯を望むのであれば、新しい名札を配るより、そこにいる人の声を聞くべきだろう。

「集団間関係」の問題

英語の cyclist でさえ、しばしば cycling より慎重に使うべき語とされる。例えば筆者が関わった Cycling Fallacies(自転車利用についてのよくある誤解)の翻訳では、人と行為を固定的に結ぶ文言をなるべく回避し「自転車で移動中の人」といった形に崩すよう内部ガイドラインで指示されている。

『最新 心理学辞典』の「集団間関係」の記述に沿っていえば、これは「脱カテゴリー化」の手法である。人は「自己が所属していることを自覚する対象」すなわち「内集団」をひいきし、そこから外れた「外集団」に対してはステレオタイプ化を行ったり偏見を抱いたりすると考えられている。drivers / cyclists のような「集団」フレーミングは、不毛な対立の温床にもなりうるのだ。

この弊害を意識した言葉の使い方は、SNS時代にはますます重要になってくるだろう。

「人の移動」に立ち返る

新型コロナと人間社会に関して、國分功一郎は「人間が苦労して勝ち取った自由の核心である『移動の自由』を、安全のために簡単に犠牲にしてしまってよいのか」というアガンベンの訴えに言及しているが、世界の都市・交通・環境の文脈では近年、「移動の自由」と自家用車をイコールで結んでしまった前世紀の失敗からの脱却が盛んに論じられている。「人の移動」という視点に立ち返る時が来ているのである。

「人」を中心に発想し、それぞれの土地の現実を変えていくにあたっては、やはり言葉の選択が大きな意味を持つ。シアトル市民の連盟Seattle Neighborhood Greenwaysが2015年にまとめた「街路を安全にするための議論を前進させる用語法」でも、移動手段による集団フレーミングをやめて「人」を前面に出すことが推奨されている。

自らの立場を語る際にも、「cyclist として」ではなく、「人の親であり、~の従業員であり、一人の隣人であり、また自転車を使う者として」のように、人としての全体像を示すこと。このことは言語使用の戦略においても、それ以前の自己認識のレベルでも、とても大切なことだと筆者は考える。

3 comments

  1. 書かれているように、自転車を語ろうとすると言葉としてモヤモヤしてしまう状況がありますね。個人的にはサイクリングは自転車に乗ること全般だと思っていたのですが、自転車好きの人や自転車業界の人はスポーツやレジャーとして考えているように感じます。

    紹介いただいたガイドライン(人と行為を固定的に結ぶ文言をなるべく回避し「自転車で移動中の人」といった形に崩す)は誤解を減らせる一方で、簡潔に言い表せないのが残念です。自転車に乗る人全般を「サイクリスト」と呼び、スポーツとして自転車に乗る人を「スポーツ・サイクリスト」などと呼ぶのが言語的には自然だし、そのような理解が広まるのが良いなと思いました。

    外来語ではなく「自転車利用者」で良いのではとの提案もありましたが、「自転車に乗る人」を示すシンプルな言葉が欲しいと思っていました。「自転車人」や「自転車家」と言った呼称もありますが…

  2. 自動車の運転者は「ドライバー」と呼ばれますが、運転を職業としている人に限らず、一般の運転者も含まれるニュアンスですね。

    オートバイの場合は「ライダー」とも言われます。原動機付自転車以外のオートバイは日本では趣味性の高い乗り物のように思われるフシがあるので、ニュアンスとしては趣味的に乗っている人という感じは出ています。「バイカー」という言葉もありますが、これだとより趣味性が出てきます。

    スポーツ方面に目を向けると、「ランナー」は趣味スポーツでに走っている人です。五輪真弓が「マラソン人が行き過ぎる」と歌いましたが、当時は無かった言葉でしょうか。

    私自身は、さまざまな自転車に乗っているという意味でサイクリストを自認していますが、やはり一般的には趣味性の部分がニュアンスとして含まれるような気がしてしまいます。
    もう少しフラットで、自転車搭乗者、ないし自転車運転者をスマートに言い表せるとよいのですが…

  3. サイクリングの話とは違いますが、自転車と自動車が視覚的に似ている(読み間違える可能性が高い)のもモヤモヤします。私は自動車をクルマと書くことが多いのですが、自転車を言い換えるには何があるでしょうね。チャリやチャリンコは蔑称っぽいし、バイシクルやバイクも定着していないですよね。

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