自転車と放蕩娘 (14) マリー・キュリーの新婚旅行

小中学生の頃、多くの人が読む伝記の一冊に『キュリー夫人伝』がある。娘のエーヴがマリーの死の4年後1938年にこの伝記を出版した同年、日本でも白水社から翻訳が出版されている。アメリカでは1943年に伝記に基づいた映画『キュリー夫人』が製作されているが、この映画は日本では1946年2月、アメリカ映画輸入再開第1号として公開された作品でもある。科学教育を背景に、マリー・キュリーの伝記がひろく普及したことが想像できる。

マーヴィン・ルロイ監督『キュリー夫人』1943年

マリーと物理学者ピエールの新婚旅行が、自転車でフランスの田園地帯を訪ねる質素な旅行だったことが、私の記憶の片隅に残っていた。映画では、結婚式の直後に祝い金で購入した自転車で旅に出る二人の姿が描かれている。1895年のことである。旅行中に二人で読むための科学書を持参するピエールの描写もさることながら、時はまさに世紀末、自転車こそが自立した女性の象徴だったに違いない。

旅先では、船での輪行中にマリーが博士号論文の研究課題を思いつくシーンが印象的だ(鉄道だけでなく船での輪行は当たり前!?)。ここから瀝青ウラン鉱からラジウムを取り出すための苦闘が始まるのだ。

オレゴン州立大学アーカイブスには、マリーとピエールがフランスのオー=ド=セーヌ県のソー地区を訪ねた時の写真が残されている。ふとこの写真の寄贈者が気になり来歴を調べると、1902年生まれ、ルーマニア出身の研究者で、のちに科学ライターとなったサラ・リードマン。彼女がどのような経緯でこの写真を入手したかはわからないが、1958年に出版された書籍の挿図として使われた写真が資料として公開されている。子ども向けの科学書や百科事典にも寄稿した人物で、彼女もまた、アメリカでのキュリーの伝記の普及に一役買ったようだ。

Riedman, Sarah R., “Marie and Pierre Curie with their bicycles at Sceaux.,” Special Collections & Archives Research Center, accessed July 29, 2020.

日本では、小説家の宮本百合子が「キュリー夫人」という記事を残している。初出は不明だが、記事から察するに1939年頃であり、百合子が宮本顕治と出会いプロレタリア文学運動の推進に深く従事していく後半生と重なっている。放射線治療車をはじめ、戦時中の医療に尽力したマリーの人間像に迫る百合子の書きぶりは、活動家としての共感に満ちている。映画の中の美化されたイメージとは対照的に、マリーの生き様がいかに志ある女性たちを鼓舞したかを伝えている。

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