自転車に「乗る」ためのレッスン 第16回 『ボローニャ紀行』に書いてなかったこと

前回、2004年にNHKが制作した番組「井上ひさしのボローニャ日記」について書いた。そして今回、映像からすこし離れて、この番組の滞在をもとにした、井上ひさし『ボローニャ紀行』(文藝春秋社、2008年)から、自転車デモの行方を書こうと思った。しかし、本書には、その記述がまったくなかった。ないのだから仕方ないのだが、あの話題は番組だけで終わってしまって、この街を巡る文明に関する議論には接続しなかった。書籍全体を読むと、少々違和感を感じた。とはいえば、残念ながらアテが外れてしまったのだった。

そんなタイミングに赤松さんから、「これどうですか? 究極のママチャリ(パパチャリ)を狙っていそう」と言って、自転車の購入を勧められた。自転車に「乗る」ためのレッスンと題して、動画のなかに見出される自転車を手がかりに、ここまでテキストを書いてきたわけだが、自転車置き場で錆び付かせたママチャリを放置したままではレッスンになってないだろう、と、この勧めに惹かれている。

推薦された自転車について検索をすると、やはりというか、当然ながら紹介は動画。豊田TRIKEという会社の電動アシスト自転車だが、自動車の作り手が退職後に設計しているという。いくつかの動画をみていたら、そのうちのひとつで、免許返納後の人々に使ってもらいたいというコメントもあった。自動車会社のとり組みとして、これは都市生活の日常に対して、大きな提案となっているだろう。

井上ひさしは、自転車デモのその後を書いてなかったが、トヨタ自動車の取り組みとして、こうした動きがあることは、僕なりに『ボローニャ紀行』に書いてあることを期待したことでもあった。

移動手段が、なんらかの技術に一元化されていくこと、言い換えれば、他を淘汰して一様になることはよろしくない、と個人的に思う。過剰な進歩史観は、生活の中に見出される差異を消去することに繋がるだろう。自動車会社が自転車も作る。車道もあれば歩道もあり、自転車専用道路もある。バスレーンや、馬車道があってもよい。選択の余地がある都市をボンヤリと考える。健康や安全も大事だが、個人的には、選択の余地があり、区別がつくこと、差異の体系こそが生活を豊かにするはずだ。自転車と自動車のあいだにある、電動アシストに誘惑を禁じ得ない。

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