2001年未来のサイクリング

かつて予言された未来に自転車は存在するのだろうか? その例を1969年に刊行された謝世輝著「2001年の世界」に探ってみよう。これは21世紀の社会と生活を予測した子供向けの未来書だ。高度経済成長が続き、科学技術があらゆる問題を解決している。自動車は空を飛び、列車は透明チューブを突き進み、宇宙船は木星へ向かう。核融合、自然改造、気象制御、病気征服、生命改造など何でもありの無敵状態。

そのような2001年の世界にも自転車がしっかり登場する。本書の冒頭に描かれるのは、ある少年の一日。 彼は動くベンチに座って通学し、学校ではビデオ教材で勉強し、図書館では遠隔操作で本を読む。勉強がひと段落すれば、友達にテレビ電話で連絡して一緒に遊びに行く。それはゲーム・センターでもなければ、アミューズメント・パークでもない。自然豊かな公園へのサイクリングだ。

自然のままの遊び場 英二君は、勉強がおわると、進君とテレビ電話でうちあわせて、森林公園に遊びにいくことにしました。
 家のうらから自転車をひっぱりだし、ふたりで森林公園まで競走です。この道路は、サイクリング専用道路で、自動車も人もいませんから、交通事故の心配はありません。
 この、丘や谷のある広い森林公園も、人びとのいこいの場にするため、とくに自然のままにのこしておかれたものです。
 公園で思いっきり遊んだ二人は、ながした汗を夕方のすずしい風にこころよく感じながら、自転車をゆっくり走らせて帰りました。
 このへんは、東京の西の郊外の住宅区域です。多摩丘陵のなだらかな南の斜面には、すりばちをふせたような形の巨大な建造物が、いくつもたちならんでいます。これは、大小のコンクリート製の輪をつみあげた、円すい形のひな段のような人工台地です。人工台地の階には、庭を広くとった住宅が、いくつもたてられています。
 太陽は西の空にかたむき、ピラミッドのむれのように、人工台地のシルエットを、夕やけ空にうつしだしていました。もう、あかりのついている家もあります。二人は、心もち自転車をこぐ足に力をくわえました。

謝世輝「2001年の世界」、第1章「二十一世紀夢の生活」

東京郊外の住宅街地 ピラミッド型の人工台地には、ゆったりした庭と緑にかこまれた電子住宅がたっています。自然のままにのこされた森林公園、サイクリング専用道路など、人間らしい生活がおくれるよう、広い観点から計画的につくられた住宅区域です。

謝世輝「2001年の世界」、第1章「二十一世紀夢の生活」のイラストの説明

不思議なのは自転車への言及がないことだ。添えられたイラストでも、フラッシャーっぽい方向指示器が認められる程度で、極々一般的な自転車に見える。自動車からロケットまで、他の移動手段については動作原理や性能向上などが事細かに説明されているので、これは手抜きだと言いたくなる。ちなみに、1979年に電動シフトが、1993年に電動アシストが登場するので、当時も何らかの情報があったはずだ。

著者は自転車は人力二輪車であるという固定観念に縛られていたのかもしれない。あるいは、科学技術が万能でないことを素朴な自転車によって示したのかもしれない。人間性や身体性の象徴として、シンプルな自転車こそがふさわしい。本文では多く語られていないものの、その序文には急速な進歩による問題に言及されている。つまり、自転車は不幸な進歩のアンチテーゼだったと考えてはどうだろう。

 いっぽう、科学や社会の急速な進歩につれて、都市公害、交通地獄、人間の機械化など新しい問題も生じています。これらの問題を解決するために、明日の社会生活や年は、どうあらねばならないかにも注意を向けてみました。

謝世輝「2001年の世界」、序文「読者のみなさんへ」

また、サイクリング専用道路は人も自動車も通らず、交通事故の心配がないと言う。これは今日の先進的な自転車道路に似て素晴らしい。白い路面は滑らかで緩くカーブを描き、僅かにアップダウンもある。道路の端は何もなく、そのまま野原に進めそうだ。一方で、前方を横切る高架は通学用の動く椅子レーンだろうか、直線的で堅苦しい印象を与える。これもまた自転車の自由と開放性を示している。

アムステルダムの自転車専用道路

もっとも、全体の印象としてはツルツルでピカピカの高度管理社会を連想してしまう。専用道路は決まった場所に至るだけであり、道路を外れると警報が鳴り響くに違いない。これは純粋培養される子供たちに与えられるサンドボックス(砂場、安全な遊び場)だ。しかし、そうだとしても、子供たちは制約をかいくぐり、どこへでも行きたいところへ行くだろう。そのためにこそ自転車があるのだから。

 電子ベッドには、テレビやテープレコーダー、電話、音声タイプなどがそなえつけられています。夜何かを思いついたとき、つぶやけば、音声タイプがメモをしておいてくれます。
 ねむくなった英二君は、あすの朝、山小屋の小鳥の鳴き声で目をさますよう、目ざましセットをあわせ、枕もとのボタンをおしました。電子照明がしだいにくらくなり、静かな音楽がながれてきます。
 英二君は、しだいにこころよいねむりにさそわれていきました。

2001年の世界(おわり)

謝世輝「2001年の世界」、最終段落

2001年から既に20年が経過した。本書が描いた世界は10分の1も実現されていない。いつの間には世界は失速し、様々な局面で反動が現れている。書籍を侵食するシミや日焼けは、到来しないまま失われた世界を暗示する。数少ない例外は情報通信技術で、これは当時の予想を遥かに超えている。そして自転車と専用道路は、かつて夢見た姿のように実現されるだろうか。それは私たちの責務でもある。

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