自転車に「乗る」ためのレッスン 第15回 いつかボローニャへ行こう

NHKの『プレミアムカフェ』で、2004年に制作された「井上ひさしのボローニャ日記」を放送していた。僕的には、井上とボローニャの組み合わせには、意表をつかれた印象があった。しかし、その思い入れは並々ならぬもので、この番組よりはるか以前から、文化的に自立したこの都市は、憧憬の的であった。番組の後、井上は『ボローニャ紀行』を上梓している。

さてこの番組では、ボローニャ市街地の交通渋滞と大気汚染、つまり自動車へのデモを行う市民たちが紹介される。彼らは、親子連れだったりしながら、街の中を自転車で周回し、たまに拡声器で声を挙げる。親は言う「娘は公害のためにぜんそくなりました」と。さらに続けて「彼女の将来のために闘っている、わたしの姿を見せたいのです」。ここでいう「闘い」とは、当然のことながらヘイトスピーチや暴力ではなく、自転車で自動車の進路を妨げながら走ることだ。もちろん、ひとりで走っていては危険だが、すくなからず群れになってこれは可能になる。人の国の、さらに16年前の状況だが、喘息もちの僕としては、同病相憐れむ立場から、たいへん素敵な光景が記録されているように思われた。さらに言えば、彼らは市を相手取って裁判中だという。

自転車は趣味でしかないのか? 労働と別の位相、つまりレジャー(余暇)に属すると考えればそうなのだろう。異論は無い。ただボローニャの市民が自転車でデモすることを見て意識すべきは、自転車が端的に政策に対するバリケードとなるし、自動車や人と、場と倫理を鬩ぎあっているということだ。つまり、自転車それ自体もまた生存の場であり、殺伐とした装置であり、言わば公共圏である。

僕は、未だボローニャへ行ったことはない。井上のドキュメンタリーから16年、2020年現在の状況は知らない。いつかボローニャ市街を自転車で周回しようと思う。蛇足だが、丹下健三がマスタープランを作った地区も行ってみたい。

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