自転車と放蕩娘 (10) 自律分散型社会のための思考訓練

この週末、新型コロナウイルスのオーバーシュート(爆発的患者急増)を避けるため、首都圏5都県をはじめ福島、茨城、富山、島根など計13県が外出自粛要請や東京方面への移動の自粛を呼びかけている。私も出張をとりやめ、天候を見計らって自転車でひとり背割堤を訪れることにした。

岐阜羽島駅から背割堤のスタート地点まで

背割堤は、赤松の記事にもあるように、新幹線の岐阜羽島駅から南に10kmほど下った地点にある、木曽川と長良川が並行して流れる地帯だ。大河の間を通る視界の開けた道は十数キロにわたって続き、何よりゲートが設けられているため自動車がほとんど通らず、快適なライドを楽しむことができる。特にこの時期は、桜並木を堪能できる絶好の機会だ。

ゲート越しに臨む背割堤

とはいえ、背割堤の付近には駐車場がなく、一般に交通の便の悪い場所と言えるだろう。徒歩や自転車など移動手段が限られるせいか、いつ訪ねても閑散としている。少数者だけがアクセスできるという面でサンクチュアリのような魅力に惹かれていたが、今回は図らずもパンデミックにより、移動やネットワークのありようについて考えさせられる。自転車を移動手段として「選ぶ」ことは、エネルギー政策だけでなく、ライフスタイルの面でも自律分散型の社会と相性がよいのではないだろうか。

今回、背割堤のライドを楽しみながらふと思い出したのは、オノ・ヨーコの《Telephone in Maze》(1971/2011)という作品である(残念ながら自転車とは関係がない)。1日に2回、展覧会場に設置された電話にオノから電話がかかってくるという作品だ。わざわざ展覧会場を訪れなくても電話でのコミュニケーション自体は可能だし、そもそも生の体験が期待される展覧会場でなぜ電話だったのか。少なくとも、1971年にこの作品が発表された当時、オノは有名人としてではなく、会場を訪れる人との出会いの偶然性をこの作品で演出したのだと思う。それだけでなく、「少人数だけがアクセスできる電話」を設置することにより、電話と展覧会それぞれの機能を拡大してみせた作品でもあったはずだ。

オノ・ヨーコ《Telephone in Maze》(1971/2011)
横浜トリエンナーレ2011(横浜美術館)での展示風景

新型コロナウイルス感染拡大の防止に向けてさまざまな自粛が相次ぐ中、《Telephone in Maze》が示唆するのは、日常のメディアの機能を読み替え、別の解釈を提案することだ。私にとってライドはもはや日常の一部なのだが、自粛ムードにより、背割堤ライドが出かけることを「選ぶ」行為を意識させ、いつもとは違うポジティヴな思考を促したように思う。桜はまだ三分咲き。思い立った方はぜひ出かけてほしい。

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