自転車に「乗る」ためのレッスン 第11回 自転車を拾い二人乗りする

オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004年)は、説明的な邦題どおり、第二次世界大戦末期のベルリン市街戦を舞台に、ヒトラーの最後を描いた作品だ。この作品には原作として、歴史家であるヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』と、ヒトラーの秘書だったトラウドゥル・ユンゲの『私はヒトラーの秘書だった』があげられている。僕は後者しか読んではいないが、たしかに側近しか知り得ないユンゲの回想は、ヒルシュビーゲルの脚本や演出に大胆に使用されている。狂人たちの極限状態の高揚と虚脱が描かれる。

しかしこの映画、歴史的事実を再現することだけに拘った映画ではない。アレクサンドラ・マリア・ララが演じるユンゲは、ヒトラーが自殺した後、兵士達に混じって、軍服を着て防空壕を脱出するのだが、すでにソビエト軍に包囲されている。ユンゲは、包囲を通り抜けようと、軍人でなく、女性であり、市民であることをしめそうと歩き始めたとき、どこからともなく、ヒトラーユーゲントだった少年が日常着で飛び出し、姉弟のようにユンゲの手を掴む。二人はこうして包囲網を通り抜ける。次の場面では、廃墟となった橋梁にふたりは茫然自失として佇んでいる。少年は、川に落ち込んだ橋梁の先に何かを見つける。自転車である。次のシーンで、ユンゲは少年を自分とハンドルの間に乗せて森を走る。

ユンゲの回想を読む限り、ソビエト軍の包囲網を通り抜けることができたこと、ひたすら歩いたことが語られている。少年と自転車はこの映画の創作である。少年はさておき、自転車は、自由と再生の象徴として機能しているということになるのだろう。個人的には、戦渦で川に落ちてた自転車がそんなに都合良く走るのか? というツッコミはおいて、ユンゲが悠々と少年を乗せて走っていくシーン自体の大らかさと、乗り慣れている感じが画面に漲るとても良いシーンだ。映画前半、ブルーノ・ガンツが演じるヒトラーに疲れ果て、暗澹たる気分を経て、さすがのヒルシュビーゲル監督も、さらに歩いて疲弊するユンゲではなく、ちょっと脚色したくなったのだろう。ことしも、そんな息抜きのように、映画と自転車、書いていきたいと思います。今年もよろしくです。

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