[Cyclist’s Cycles 自転車家12ヶ月] 9月

自転車家たちがよく使うジョークとして「フレームからパーツが生えてきた」というフレーズがある。多くの場合それは「知らない間にあなたの自転車には変化が起こっているようだ、そのための原資はどこからきたのか」という趣旨で隣人からの問い合わせがあったときの「模範解答」として使われることが多いようだ。

園芸家が花壇に植物を生やすように、自転車家は自転車を生やしているのだろう。花壇に相当するものは自分の身体なのだとすれば、前述のフレーズは「身体にフレームを植えたところ、成長に伴って(より高額な)パーツが枝や葉のように新陳代謝している」というふうに、ジョークというよりも言い訳がましくなっていく。

このように当人の周りから見ていると言い訳にしかならないのだが、そうとも断じきれない部分もある。ロード・レースが機材スポーツとも呼ばれるように、運動でありながら身体と道具との境界線も曖昧だし、いい機材であったとしてもその能力を引き出せる身体の使い方を知っていないとパフォーマンスは良くならない。

ロード・バイクには、乗ってみることで分かることが多いため、なぜボディラインにピッタリとした服装なのか、なぜタイヤが細いのか、なぜハンドルが前傾姿勢をとらせるのか、そういった疑問ついて座学のように知識を得ても、それが頭だけでは納得しづらい事も多い。だからなのか知らないが、身体性でこれらを捉えようとする傾向も多く見受けられる。

このような傾向のある自転車家のことを述べるにあたって、彼らが自転車についての知識を得て、構造的に仕組みを頭で理解していくこともできる一方で、実際に取り組んでみた行為を通して自分の身体を知識に「寄せていく」という習得方法があるということも考慮しなくてはならないだろう。

このような考え方から思い起こされるのは、自転車から少し離れるが、例えば シーモア・パパートが提唱する考えかたでは「何かを作ることで学ぶ」ことを重視していることである。なお、パパートはこのような理論をもとにした「LOGO」というプログラミング・ツールの開発者としても知られている。

LOGO

ここではLOGOのようなプログラミング・ツールを例えにしたが、実際に手を動かしてものをつくること(カメを移動させて図形を作る)と、それを試行錯誤し頭で考えることを相互にやり取りさせるやり方は、IT技術教育でも広く取り入れられているという。自転車に乗ることで学ぶことができる身体の動き方というものも、このような考え方に沿わせて近づけていけないだろうか。

身体的な行為を通して、身体を自転車に「同化」したり、ライディングポジションを自分の身体に対して「調節」をする。何かを習得することをそのような過程として捉えていくこともできる。そうすると私がこの文章を書くために自転車に乗ることは書くことの一部で、また、文章を書くことで乗ることがまた別のものに変換できる。

そこで最初のフレーズに戻ってみると、自転車は乗る人の手足の先から延長された枝のようなものかもしれないし、自転車家の身体を生やし伸ばしていく根っこにある存在なのかもしれない。なんだか、「動くことの中に考えることがある」という内包関係にもたどりつけるかもしれない。ただ、とにかく、

9月

は、サイクリングが最高な季節の始まりだ。あまり長い文章をぶら下げるべきではないだろう。頭で考えたことをキーボードで文章に書く起こすことを一旦ここで止めておいて、走ってくることにしよう。考えるのはその後にしよう。

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