自転車に「乗る」ためのレッスン 第3回 消失するライド

画面は上下に二分割、いやそれが二画面だから四分割、いや上下二分割と曖昧な一画面ということで三分割・・・。赤松正行の《消失するライド》という、自転車に乗る身体からの主観映像に基づく作品だ。画面は上下が反転した映像で、ひとつの画面はタイムラプス、もうひとつの画面は上下だけでなく左右反転した映像で、膨大なフレームが重ねられ、緩慢に曖昧な風景がスローモーションで変化していく。

赤松正行による映像作品《消失するライド》だ。正直なところ、作品をまだ理解していないのだが、自転車にほぼ乗らない私にとって、クリティカル・サイクリングを名乗る赤松の視点には興味を惹かれるところがある。まず上下逆さということだが、自転車は視覚の中心に向かって進むという意味において、消失点、一点を注視しているわけで、通常の視覚による風景では無いと言うことだ。こういう言い方もなんだが、視覚ではあるが、風景では無いという風景の映像であること。さらにもうひとつの画面、これも上下逆さまで左右も反転されているわけだが、上下左右を分かつ部分が曖昧というか、全体が周辺視野で見ているかのような感じなのだ。

個人的には、この周辺視野だけで構成される画面を延々とみる感覚。周辺視野に没入する行為? それは不可能? この強調が、自転車で走る快楽なのではないかと思った。

周辺視野に没入する? 《消失するライド》という言葉と共に、私には、なにか自転車に「乗る」ヒントを提供されている気がするのだ。ちょっとでまかせみたいな言い方だが、風景を見ずに乗る。感じる。なにを? 周辺視野を! ということなのか? なんかにわかに自分が自転車に近づくのを感じる。見ないことで見える風景。そこへの接近を突如考えさせられる10連休であった。

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