山田正紀の自転車泥棒

SFやミステリなど多才な小説家、山田正紀は短編集「1ダースまであとひとつ」(1991年)の第四話に「自転車泥棒」を収録している。この20ページほどの短い物語では、サラリーマンの酔っぱらいが深夜の駅前にタクシーが来ないことに業を煮やして、鍵が掛っていない自転車を見つけて自宅に帰ろうとする。まさに正統派の自転車泥棒だが、終盤で警官に呼び止められても発覚するわけではない。

つまりこれは、自転車泥棒という犯罪をめぐる物語ではなく、自転車泥棒という行為が誘発した物語だ。それは社内のライバルへの奸計であったり、少年期の友人への卑屈な態度であったりする。そして、道端の浮浪者を自転車で引きそうになり、それがきっかけで忘却の海に沈めていた衝撃的な記憶が甦る。整備が悪いチェーンの軋む音のように、印象の悪いことばかりが続き、安堵もなければ救済もない。

筆者は自転車を盗んだことはないが、学生時代に自転車を盗んだ友人の身元引受人になったことがある。彼も酔っ払って歩いて帰るのが面倒で、駅前で自転車を失敬したと言っていた。何年か前の駅前には放置自転車が溢れ、自転車泥棒は気軽な犯罪だったことを思い出す。この短編の内容も褒められたものではない。その頃から何が変わり、何が生まれ、何が廃れたのだろう。

筆者はリアルタイムではないものの、神への挑戦やシステムのハッキングに彩られた山田正紀の初期SF小説を少なからず読んでいた。秘境冒険譚以降は関心がなくなったが、最近になって本作に気づいた次第。ここにはヴィトゲンシュタインを引用するようなカッティング・エッジぶりはなく、本作は傑作ではなく佳作程度だろう。ただ、自転車泥棒というモチーフの扱い方が興味深かった。

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