[ESSAY] 貸自転車ショート・ストーリー (2)

1969年(昭和44)、一人の男が貸自転車をレンタサイクルと呼び替えた……。

75年になり、省エネ対策をまとめた運輸省報告書の中にレンタサイクルという言葉が初めて登場する。レンタサイクルが公式日本語になったといえよう。

さらに80年建設省資料に「神奈川・平塚駅で日本初のレンタサイクルが供用開始された」との記述がある。

当時の官公庁のレンタサイクルとは都市交通手段としての自転車のことである。「都市型レンタサイクル」との文言もある。

だからレンタサイクルには、観光地のレジャー用と、都市の交通用の2つの方向性がある。

━そのころレンタサイクルと名付けた男は全国を飛び廻り、観光地業者にレンタサイクルの事業化を勧めていた。

このため男はレンタサイクル専用車を開発した。乗りやすいフレームに、ランプなどの不用部品は取り外し、破損防止と防錆対策を第一に考えた万人向きの頑丈な軽快車だった。

観光地での売込は順調だった。ホテルや土産物店にサイドビジネスとしての効用を話せば容易に受注できた。ただ個店単位の受注は効率が悪い。

そこで全国展開できる相手を探し、国鉄(現・JR)と提携した。

この時期国鉄は財政難にあえぎ、過疎地の鉄道駅とバス駅の無人駅化を進めていた。

その業務委託先として「日本交通観光社」(略称日交観/現・日本交通観光社)が設立され、余剰国鉄職員を受け入れていた。

日交観が国鉄から委託された総駅数は全国500駅を超えたが、国鉄の経営難から始まった受託駅の採算が取れるはずがない。

ある日男は日交駅本社に出向いた。

「過疎駅でレンタサイクル事業をやりませんか?」

応対の企画担当者が答えた。

「ただでさえ赤字です。新しい事業はできません」

「いや、費用はほとんど掛かりません。乗客がいないときに駅員さんが、自転車を貸出すだけです」

「自転車の技術もないし、修理費もかさむよね?」

「専用車だから頑丈にできています。技術サービスは最寄りの自転車店を保守店につけます」

「宣伝はどうするの?」

「表示看板とサイクリングコースを書いた印刷物は当方が提供します。だから投資は自転車と保管場所だけです。それも1~2年で償却できます」

「わかりました。どこかの駅でテストしてみましょう」

「先ずはコースの設定からですね」

男と担当者は、候補になった青森・十和田湖の奥入瀬渓流の起点にある国鉄バス「子ノ口駅」に出張した。まだ雪の残る渓流沿いの車道15キロを推奨コースにして、3段変速スポーツ車10台をそろえ営業開始した。

その後のチェーン展開を意図して、「駅レンタサイクル」と命名、日交観は全国観光地の受託駅で貸自転車業に乗り出した。

子ノ口駅に続く第2号駅は岩手・平泉のバス駅だった。さらに九州から北海道まで、鉄道駅にも広がっていった。

JRになったのちも近年まで、分厚い「鉄道時刻表」に、全国の駅レンタサイクル一覧表が掲載されていた。

━それから50年後、男は観光客として奥入瀬渓流を訪れた。渓流沿いのコースにはレンタサイクルに乗る中高年の男女が見受けられる。

子ノ口駅では、今日でもバス業務の傍らレンタサイクル事業を営んでいた。

保有台数は3段電動アシスト車10台、6段シティ車17台、拠点も3カ所に増え便利になっていた。

ただ、駅レンタサイクルの名はすでになく、「渓流足ストサイクル・楽チャリ」と変わり、時の流れを伝えていた……。

なお、レンタサイクルと名付けた男とは、不肖ながら筆者である。

子ノ口レンタサイクルは健在だった
いつも変わらぬ美しい奥入瀬渓流

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