自転車のようなものを作ること

これまで筆者(sy)は、数回に渡って自転車のプロトタイプのようなものを制作してきた。その制作の記録は、各記事、新製陸舟奔車2017Land Crawler 2×2X-Form Vehicle 46Deformable Bike 60Human-Framed Cycle で確認できる。

タイトルに「ようなもの」と書いたのは、実際制作をする間、ずっと結果物が自転車になるか分からない状態で、作業をしてきたからである。だからこそ、なぜこういう流れで作ってきたのかは、こうやって並べてみると分かる気がする。よってこの記事では、自分が行った制作の流れに焦点を当て、各作品が目指したものを簡略に紹介し、その下で何をどう思っていたかについて、まとめていこうと思う。

新製陸舟奔車2017
新製陸舟奔車2017の制作をしようと思ったのは、新製陸舟奔車という江戸時代に実在した自走車が、驚くほど先進的だったからである。また、それが近代の西洋から入ってきた自転車ではないからこそ、一度作ってみることで、これまでの自転車から離れて考えられるのではないかとも思った。そして実際作ってみて、身体を覆う、空間になるような自転車のフレームを思いつくことができたのは、後にも続く大きな収穫だった。

Land Crawler 2×2
Land Crawler 2×2は、自分の作品の中ではある意味、一番批判的な目線で作った作品である。正直この頃は、批評を超え、批判にまでなってしまう心情だったと思う。作品は、体験者をうつ伏せにさせ、上半身に複雑な役割を与え集中させる。そうすることで、体験者は、普通という状態から強制的に離れるしかなくなる。

当時は、人間と動物との身体の違いにも関心を持っていた。というのは、それまで筆者の母国にある家には、17年間一緒にいた犬がいて、いつも考えさせられたからである。その体に触ったり、じっくり見たり一緒にいると、周りの家や空間は、この小さい身体にはあまりにも合わないし、怖いものだろうと、思ったりしていた。作品を、この感情のみで制作しようとしたわけではないが、思い返そうとすると自然に出てくる記憶のようなので、この機に記録しておこうと思う。蛇足ではあるが、その犬はこの作品を展示していた日に、息を引き取ったと知らされた。

X-Form Vehicle 46
X-Form Vehicle 46は、分解と組み立てが簡単にできる構造を持つ自転車である。構造は、駆動部とパイプを、クランプを使用し組み立てることで作る。そしてパイプの長さや配置によって形状が変化する。この作品の方向性は、筆者が自分にとっては外国である日本で、生活をしていることを考えるうちに、決まって行った。

その時、坂口恭平のモバイルハウスについて知り影響を受けたが、自分の場合は、やはり外に「座っている」感覚がもっと重要だった。それは、筆者の経験では(東京にある)葛西臨海公園に毎週通い、絵を描いていたことが原点である。自分は、外国人であり、横から見つめながら、描く。この作品は、このような東京に住んでいた当時の精神的な一面が現れたものだと、個人的には思っている。

Deformable Bike 60
Deformable Bike 60は、X-Form Vehicle 46の改良版に当たる作品であるが、結果、思ったより違うものになったと思う作品である。この作品の制作は、基本的には前作のクランプを、オリジナルのものにすることから始まった。そこで、決まった角度で回転できるクランプを作り、そのシステムをもって自走するものを作ろうとした。

この自転車制作システムの発想は、人間の身体が持つ相対性から始まった。すべての人は各自固有の身体をもっている。「こうなると誰でも痛い」のような状況でも、正確には「恐らく」をつけなければいけない。みんな個別なのである。

この作品は、こういう理由から、自転車の構造も無限に進化が可能なものでなければいけないと思い、変形可能性を追求していったものである。が、逆に、だからこそ作者である筆者の身体は重要でなくなり、ただ機能性について考えるだけになったので、方向性を修正せざるを得なくなった。

Human-Framed Cycle
Human-Framed Cycleは、前述したようにな今までの流れに加え、作者自身の身体を、もっとも重要な要素とし制作した作品だ。これまでの試作品制作の中で、自転車の形状による身体感覚の誘導が可能なことは確認できた。しかし、だからと言って機械装置に焦点を当てても、それが多様な身体や感覚までカバーし切るのはほぼ不可能であることも分かった。よって、筆者自身の身体に立ち戻ることになるが、今度は方法論を決め、その通りに制作したのち、最後に確認をすることにした。

その方法論は、必ず作者が、制作途中の機械装置に乗り、触り、そういう身体感覚を軸にし、次の構造を作ることである。そしてそれを、徐々に他人の体験まで広めることで、個の身体感覚がどのように他の身体感覚とぶつかるか観察し、また次の形状を表現していく。結果、実際行った体験イベントでは、この作品が表す「筆者の身体」に、多くの人たちが関わり様々なぶつかりが観察できた。

つまりこの一連の試みは、筆者が自らの感覚を基準にし表現した「新しい身体感覚」を、身体感覚のままで、他人に感じてもらうための活動になったのである。とくに、この方法は、機械装置の機能だけに集中し身体を疎かにすることがなく、次の表現につなげていける方法だと考える。最終的に、個の身体体験から他への広がりがあり、また個に戻り、またまた広がるような「サイクル」が見えてきたのが、この試みの中で得たものである。

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