小杉天外の魔風恋風

小杉天外の「魔風恋風」は、1903(明治36)年に刊行された恋愛通俗小説、女学生の三角関係と友情を描いた青春物語、今日のラノベだ。今となっては知名度は低いが、当時は大ヒットだったらしい。新聞の連載であったこともあって、ハイカラさを散りばめて、テンポよく話が展開する。その冴えたるものが主人公の美貌と出立ちであり、物語の冒頭に自転車に乗って颯爽と登場する。

鈴の音高く、見(あら)はれたのはすらりとした肩の滑り、デードン色の自轉車に海老茶の袴、髪は結流しにして、白リボン清く、着物は矢絣(やがすり)の風通(ふうつう)、袖長ければ風に靡(なび)いて、色美しく品高き十八九の令嬢(れいじやう)である。

この清楚可憐かつ勇壮豪快なイメージは、同年の新版引札見本帖 第1にも描かれている。これは素材集なので、実際の広告に使われて多くの人の目に留まったはずだ。これらの元ネタは、日本で初めて世界的なオペラ歌手となる三浦環で、自宅から音楽学校まで片道8kmを自転車で通学していた。乗り物酔いを避けるための自転車通学だったが、自転車美人として新聞にも載るほど世間の評判となったらしい。

新版引札見本帖. 第1(99コマ目)

同じ頃にロンドンで夏目漱石が、グレーで浅井忠が自転車に奮闘していたのだから、三浦環が如何に先進的であったかが伺える。当時の自転車は極めて高価で物珍しく、女性は因習的で抑圧的な状況に置かれていただけに、自転車と女学生は奇特な組み合わせだ。これは、大和和紀の漫画「はいからさんが通る」の大正浪漫に引き継がれ、洋装しては今日のアイドルと自転車に至る定番ステレオタイプとなる。

さて「魔風恋風」は、春陽堂から刊行された初版本が国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。また、戦後に岩波文庫に収録されているが、すでに絶版となっている。一番読みやすいのは初版本をルビごとテキスト化したKindle版だ。そこで、電子書籍の特性を活かして、前編から自転車(実際には「自轉車」)が含まれる文を検索して引用してみる。ルビは最小限にとどめた。

鈴の音高く、見はれたのはすらりとした肩の滑り、デードン色の自轉車に海老茶の袴、髪は結流しにして、白リボン清く、着物は矢絣(やがすり)の風通(ふうつう)、袖長ければ風に靡(なび)いて、色美しく品高き十八九の令嬢である。

兩側に列ぶ幾萬の目は、只だ此の自轉車を逐(お)うて輝くのであるが、令嬢(むすめ)は學校に急ぐためか、夫(それ)とも群衆の前を羞(はづ)かしいのか、切(しき)りとペダルを強く踏んで、坂を登れば一直線に、傍目(わきめ)も觸(ふ)らず正門を指して駈付(かけつけ)んとする

後なる書生に自轉車が衝突(つきあた)つたと思ふ間も無く、令嬢(むすめ)は横樣に八九尺も彼方に投げられ、書生は仰向きに其處(そこ)に倒れたのである。

「餘程(よっぽど)酷く落ちたんだねえ、自轉車も怖いわねえ、好くまア、顔を負傷しなかッたこと。」

「だけど、自轉車へ乘るなんて、餘程(よっぽど)お轉婆(てんば)だわねえ。」

友達の美しい服裝を見て、昨日着た我が一張羅の小袖、自轉車などを想起したのである。

萩原初野が自轉車から落ちて入院した其の日の樣子から、自分が保證人(ほしょうにん)と成つた

平生(へいぜい)自轉車など乘廻(のりまわ)し、又(ま)た病室が塞がッて居るとは云へ上等室に入院するなど、その贅澤(ぜいたく)には驚き入る

「貴方、ま一寸(ちょっと)此れを御覧なすッて下さいな。」と云ひながら、主婦は押入から斜めに自轉車を引出した。

「孰(どう)せもう、自轉車なんざ不用なもんだから、彼品(あれ)を賣(う)つて勘定を濟(す)まさうッて、此の間も爾(さ)う云(い)ふんですよ」

「昨日でした、その殿井樣が來(い)らッしやいましたからね、過日(このあひだ)お話の、自轉車の事をお訊(き)き申したんですよ……」

「彼の方も自轉車を持つて居らッしやるもんですから。」

「實(じつ)は此此(これこれ)で、最(も)う、自轉車は見るも怖いと云ふ事で、それでお拂(はら)ひなさるのでございます」

「萩原樣の自轉車か、大變(たいへん)英學(えいがく)の出來(でき)ると云ふ、彼の、女子學院で有名な萩原樣ののか、てね貴女(あなた)。」

自轉車も金の入用で賣(う)るならば、其の金は此方で出して遣り遣り度(た)い

それに附けても先に立つ金の手配、今は耻(はずか)しいとのみ云(い)つて居られぬので、主婦に自轉車を賣(う)る事を相談した。

「矢張(やっぱ)し、自轉車を賣(う)つた方が一番に良い樣ですが……。」

「いいえ、あの自轉車を……。」と俯向(うつむ)いた。

「女子學院の秀才だらうが、新聞に肖像が出やうが、僅かな入院料に差支(さしつか)へて、自轉車を賣(う)らうとしてるんぢやないか?」

之(これ)さへ有れば自轉車を賣(う)るも要らぬ、入院料は元より、看護婦や世話になッた人々に思ふ程の謝禮(れい)をして

入院料……自轉車の賣却(ばいきゃく)、午前中に病院に歸(かへ)らねばならぬ事などが、水桶の栓でも拔(ぬ)いた樣にどッと心中(こころ)に湧出た。

初野は、何事を措(お)いても先(ま)づ自轉車が賣れるか何うか、主婦(かみさん)の話を聽き度(た)い

本郷の通(とほり)から神田に掛けて、自轉車營業(えいぎょう)の十五六軒の店々(みせみせ)、誰も引受け樣と云(い)ふ者が無い。

「では、自轉車を賣(う)ると云ふ事も、其の方へお話なすッて?」と初野は紅くなッた。

「何しろ、萩原樣(さま)ほどの人が、其樣(そのよう)な些さかな金に差支へて、自轉車を賣(う)るのなんのッて、外聞の惡い事をするのが如何にも遺憾だ」

「私も、始終自轉車へは乘つてますが、新聞で貴女の事を見てから、急に怖気(おぢけ)が附(つ)いて止めて居(を)ります。」

初野は我が負傷(けが)が他の噂に上(のぼ)つて、殿井等(ら)の友人までが自轉車を止めたと云(い)はれて、胸の轟くを止(とどめ)め得なかッた。

東吾は、初野の學校に於ける評判から、自轉車から落ちて入院した事などを話して聞かせた。

「ですけれど、最(も)う自轉車には懲々(こりごり)しまして……。」と微に笑ふ。

「自轉車が可(い)けなきや、滊車(きしゃ)でも宜(い)いぢやありませんか。」

このような定量分析的な抜粋でも、なんとなく粗筋が追えるのだから面白い。実際にも冒頭の自転車に乗る爽やかなシーンは、追突事故を起こして一瞬で終わってしまう。自転車は入院費を支払う資財にしかならない。物語自体も、ゆるふわロマンスなどではなく、誤解や行き違いに溢れ、下心や未練が渦巻く愛憎劇だ。つまり、持ち上げて落とすための小道具が「羽織袴+女学生+自転車」だったことになる。

さらに蛇足ながら、筆者は袴をはいたことがないこともあって、自転車の乗り方に疑問を覚える。着物ほどではないにしろ、足の動きを制限しそうだし、袴の裾がチェーンに触れ、ギアに巻き込まれそうだ。スボンの裾を留めるバンドや着物のたすき掛けのような工夫があったのだろうか。靴ではなく草履を履いていたのだろうか。ツイード・ランならぬ羽織袴ライドといったイベントも楽しそうだ。

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