鉄道廃線跡の自転車道、近未来の道路夢想

全国には少なからず自転車専用道があり、快適なサイクリングが楽しめる。その中で、北海道のオホーツク自転車道を走っている時に不思議な気分になった。道は草原を一直線に駆け抜け、湖沿いをなだからにカーブする。路面は良く、起伏も少ない。道幅3〜4メートルでの対面走行はジャスト・サイズ。あまりにも素晴らしいだけに、なぜこのような自転車道が存在するのか、理由が分からなかったのだ。

だが、やがて現れる道沿いの蒸気機関車が静かに物語っていた。かつてここは線路だったのだと。1987年(昭和62年)に廃止された国鉄湧網線跡だと言う。基幹路線として賑わった鉄道が、産業の斜陽化と地域の過疎化、そして自動車の普及によって利用が減り、やがては廃線になる。そして、廃線跡の再活用として自転車歩行者専用道に転用されたわけだ。廃線後僅か2年の1989年に制定されている。

鉄道跡、それも蒸気機関車の時代の線路跡だから、道路が直線的であり、なだらかであるのも頷ける。金属の塊である重厚な趣に反して、蒸気機関車は牽引力が弱く、急勾配の坂は登れないからだ。鉄路とともに開拓を進める時代にあっては、最優先で特等地に路線が敷かれたのだろう。それゆえに、今となっては必然性がないほどに素晴らしい自転車道が存在しているわけだ。これは素直に祝福しよう。

このような廃線跡の自転車道は日本各地にあり、線路や駅舎などが残されている場合もある。例えば、岡山県の片鉄ロマン街道では、老朽化した駅舎があり、プラットフォーム脇の線路跡を走るので、自分が列車になったような気分になる。新潟県の久比岐自転車道はトンネルが多く、蒸気機関車で突入する光景を想像してしまう。随分と小さく狭いトンネルは、煙が充満したに違いない。

廃線跡の自転車道は郊外だけにあるとは限らない。札幌市と北広島市を結ぶ札幌恵庭自転車道路は、札幌の中心部を起点として、住宅街や商業地をノン・ストップで駆け抜ける。都心部にありながら、信号機で停まることもなく、ほぼ一直線に続く自転車道は奇跡としか言いようがない。これも鉄道路線跡であるが故の好条件だ。そう、鉄道は踏切で自動車を停めても、自らは停まることがないからだ。

このように基幹路線であった鉄道が、その役目を終えた後、第一級の自転車道として生まれ変わるのは、物語としても美しい。このことは自動車用道路についても当てはまる。環境や生命を破壊する自転車が敬遠されるだけでなく、シェアリングや自律運転によって自動車の効率的な利用が進むからだ。今日のような路面面積が必要でなくなった道路は、自転車と歩行者に解放されるだろう。

例えば、片側二車線であれば、一車線は自動車に残し、もう一車線は自転車と歩行者が半分ずつ利用すれば良い。もともと歩道があれば、自転車は一車線を占有できる。片側一車線(対向二車線)なら、自動車は一方通行の一車線となる。一方通行は不便なようだが、そう思うのは人間だけで、自律走行を担うコンピュータは厭わずに最適経路を探す。残る一車線を自転車と歩行者が使うのは同じ。

慎ましい蒸気機関車時代の線路とは異なり、今日の自動車道路の勾配は自転車には厳しい。だが、電動アシスト自転車が主流になれば、高架道路へ駆け上がるのも苦にならないだろう。また、交差点の信号機は自転車の速度に合わせて運用され、信号機を必要としないラウンドアバウトも自転車に合わせて進入する。これまたノロノロ運転だと思うのは人間だけで、効率的な自律運転なら損失は少ない。

自動車が衰退し、運転が飽きられる時代が遠からず到来する。一般道はもちろん、自動車専用道も余りに余るのだから、それらは自転車道になり、歩道になり、店舗や公園になる。鉄道より再整備が簡単であり、路面の保守費用も少なくて済む。やがて、なぜこのような立派な自転車道があるのかと、人々は不思議に思う。廃線跡と同じく、それが産業遺構であることが忘れ去られて久しいからだ。

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