アムステルダムのペダル・パワー

Allan Drummondの「Pedal Power: How One Community Became the Bicycle Capital of the World」は、オランダのアムステルダムが世界の自転車首都と呼ばるようになった経緯を描いた絵本。子供向きなので平易な英文で読みやすく、約40ページと分量も少ないので、すぐに読むことができる。ほのぼのとした絵柄のイラストを眺めながら、アムステルダムに想いを馳せるのが良いだろう。

さて、今日、アムステルダムでは至るところで自転車に乗った人を見かける、とこの絵本は語り始める。自転車は自動車よりも多く、自転車こそが道路の主役らしい。自動車は脇役で、注意深く運転しなければならない。だが、1970年代のアムステルダムは自動車が溢れ、自転車には危険な状態だった。それが今日のように変革するのは、Maartje Ruttenのような若い母親と子供たちのおかげだと言う。

当時、古き良き建物が壊されて大きな自動車道路やトンネルが作られたが、それらは自動車専用であって、自転車での走行は許されていなかった。だが、道路はすべての人のものであって、自動車だけのものではない。そう考えたMaartjeは、友人に電話をし、話し合いを行い、やがては抗議行動への発展していく。それは、道路にテーブルを広げてパーティをするなど、愉快なデモであったらしい。

一方、学校への自転車通学中の少女が死亡する自動車事故が起こる。少女の父親は新聞記者であったので、年間500人もの子供が自転車に乗っている時に自動車に殺されている、と訴える。この事実を知った人々は憤慨し、抗議行動に参加する人が増えていく。また、ガソリンが不足していたので、自動車の運転手も怒りを覚えていた。そのような状況で新しい条例が施行される。日曜日は自動車禁止!

そこでMaartjeは考えた。新しくできたトンネルを日曜日に自転車で走ろう、と。多くの人が集まり、暗いトンネルをベルを響かせながら自転車で走る。ところが出口には何人もの警官が立っていた。トンネルは自動車専用です、法律違反です、と言う。子供たちはパトカーに保護され、人々は警察署に誘導される。しかし、そこにはレモネードとクッキーが用意されていた。警官はウィンクしてみせる。

このように、いくつかのエピソードを交えながら、アムステルダムで自転車が市民権を得た経緯が綴られる。それは攻撃的な抗議行動ではなく、当たり前のことを当たり前に主張する当たり前の行動であった。今日の日本は1970年代のアムステルダムにすら及ばないかもしれない。道路は自動車だけでなく、自転車や歩行者を含めて、すべての人のもの。そんな当たり前の社会が望まれる。

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