肩書はクリティカル・サイクリング

筆者が勤務する情報科学芸術大学院大学(IAMAS)では、学校紹介の小冊子を配布しており、PDF版ならすぐにダウンロードできる。その内容は、昨年の2016年版で大きく様変わりした。なにしろ、小冊子の表紙を開いて、最初の概要文に添えられた写真がサイクリングなのだ。しかも、赤いジャケットを羽織った二人がTrek Madone 9.9とBrompton S6Lに乗っている。

そして、2017年度版のIAMAS SCHOOL GUIDEの教員紹介では、筆者の肩書が「クリティカル・サイクリング」となった。昨年までの肩書は「メディア・アート」であり、他の教員の肩書は、例えば「現代美術」や「芸術学」「情報システム工学」といった具合だ。それらに較べて「クリティカル・サイクリング」は馴染みがない言葉なので、再考を求める声もあった。だが、それほど特異な肩書だろうか?

そこで、20年前を振り返ってみる。その当時、「メディア・アート」は一般的に馴染みのある言葉ではなかった。それにも関わらず、メディア・アートを全面的に打ち出し、たゆまぬ制作と研究を続けたのがIAMASだった。同じように「クリティカル・サイクリング」が、20年後には広く認知されているかもしれない。知名度が重要ではないにせよ、着実な歩みが続くなら素晴らしい。

クリティカル・サイクリングは、昨年度に2回の学内展示を行った。この様子を伝える新聞記事には、必ずと言って良いほどクリティカル・サイクリングの写真が使われていた。クリティカル・サイクリングは非公式の任意グループであるにも関わらず、自転車の展示がIAMASを代表するかのように扱われたのは、有り難くも申し訳ない気持ちになる。ただ、それだけ訴求力のある研究だったに違いない。

さらに、昨年度IAMASを受験した人は面食らったかもしれない。2017年入学試験の論述問題が、自転車を題材とした出題だったからだ。もっともこれは、マニアックな知識を問うのではない。誰もが日常的に接する自転車を深く考察し、論理的に思考を展開できるかが問われていた。これは、正しくクリティカル・サイクリングが目指す方向性であると同時に、普遍的な探求精神としても至極妥当だろう。

そして、最初の集大成となったのがIAMAS紀要での特集だ。お堅い研究紀要らしからぬ華やかな構成で、新しい息吹を伝えようとした。このような一年間を踏まえて、新しい年度のスタートとなったのが、肩書の刷新だったわけだ。メディア・アートからクリティカル・サイクリングへ、すでに世界は変わった。もっとも1年後には撤回しているかもしれない。そのような軽やかさを持った活動でありたい。

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