H. G. ウェルズの自転車と未来洞察

自転車に乗った大人を見るにつけ、人類の未来に絶望しないで済む。ユートピアは自転車道路で溢れるだろう。―H・G・ウェルズ

Every time I see an adult on a bicycle, I no longer despair for the future of the human race. Cycle tracks will abound in Utopia. -H. G. Wells

先駆的なSF小説で有名なH. G. ウェルズは、こんな言葉を残している(ウェルズの言葉ではないとする説もある)。彼の小説「タイム・マシン」(1895)では、遠い未来の人類は退化した疑似ユートピアと野蛮なデストピアに分断され、さらなる未来では人類の片鱗もなく、巨大な蟹のような生物がうごめくばかり。悲嘆の未来を描くウェルズは、しかし、自転車には期待していたのだろうか。

実際、ウェルズは相当な自転車好きだったらしい。「The Wheels of Chance: A Bicycling Idyll」(1897)は、全編自転車旅行にまつわるドタバタ・コメディ小説ながら、初めて自転車に乗った感動を、主人公に次のように語らせる。苦労に苦労を重ねて、ある日突然の奇跡のように自転車に乗れるようになった喜び、その記憶が筋肉に残って夢に現れる様を瑞々しく書き表している。

初めて自転車に乗った日は、必ずこんな夢を見るだろう。動きの記憶が足の筋肉に残り、何度も何度も足を回そうとする。変化し成長する素晴らしい夢の自転車に乗って、夢の国を駆け巡るのだ。―H・G・ウェルズ「The Wheels of Chance: A Bicycling Idyll」

After your first day of cycling, one dream is inevitable. A memory of motion lingers in the muscles of your legs, and round and round they seem to go. You ride through Dreamland on wonderful dream bicycles that change and grow. -H.G. Wells, The Wheels of Chance: A Bicycling Idyll

同じく「The Wheels of Chance」では、自転車を恋愛に喩えている。それは信念だと言う。だが、ハチャメチャな女性遍歴を重ねたウェルズを思い起こせば、自転車のことを語りながら、ほとんど口説き文句になっているのに気付くだろう。しかも、気合でなんとかなると思っているヤンキー根性と大差ない。進歩主義者にして理想主義者のウェルズの猪突猛進ぶりが思い浮かぶようだ。

自転車に正しく乗ることは恋愛に良く似ている。何より、それは信念の領域だ。できると信じるなら、それはできる。しかし、疑うなら、一生かけてもできない。―H・G・ウェルズ「The Wheels of Chance: A Bicycling Idyll」

To ride a bicycle properly is very like a love affair—chiefly it is a matter of faith. Believe you do it, and the thing is done; doubt, and, for the life of you, you cannot. – H.G. Wells, The Wheels of Chance: A Bicycling Idyll

ウェルズが持つ進歩と理想は、第一次世界大戦前に書かれた小説「解放された世界」(1914)において、核戦争で壊滅した世界を描く。だが、生き延びた人々は世界政府を樹立し、ユートピアを築く。この極端な悲観主義と楽観主義の混交。これが後に日本国憲法9条に影響を与えたのだから、現代の我々はウェルズの未来に生きている。現代の日本はウェルズが夢見た理想郷なのだ。

ウェルズは日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされる。特に日本国憲法9条の平和主義と戦力の不保持は、ウェルズの人権思想が色濃く反映されている。しかし、ウェルズの原案から日本国憲法の制定までに様々な改変が行われたため、憲法9条の改正議論の原因のひとつとなっている。またこの原案を全ての国に適用して初めて戦争放棄ができるように記されており、結果として日本のみにしか実現しなかったことで解釈に無理が生じたと言われている。(Wikipedia

ともあれ、ウェルズは未来に思考を馳せる一方で、現実世界では自転車を駆けていた。彼の二番目の妻Amy Catherineと二人乗りの自転車に乗る写真が残されている。妻を後ろから支える姿は甲斐甲斐しく見える。1895年に結婚した彼らの牧歌的な様子と、同じ年に刊行された「タイム・マシン」に描かれた壮絶な未来とは、ウェルズが持つ共存し得ない奇妙な二面性の現れのようだ。

1960年、および2002年の映画化では、タイム・マシンは安楽椅子に腰掛けて操縦するゴンドラに似た乗り物として登場する。この印象が強いので、そうとは思わないが、原作でのタイム・マシンは自転車に似た乗り物だったかもしれない。詳細な描写はないものの、サドルという言葉が頻繁に出てくるからだ。そう、人類の未来に絶望しないで済むには、自転車でなければならない。

映画「タイム・マシン」1960年

なお、未読ながら、刊行されたばかりのJeremy Withers著「The War of the Wheels: H. G. Wells and the Bicycle」なる書籍では、彼の自転車への情熱が詳細に語られているらしい。ウェルズと自転車とで一冊の本が書けるのだから、やはり彼の自転車熱は相当なものだったのだろう。ただ、自転車が関連する小説は「The War in the Air(空の戦争)」(1908)など数は少ないようだ。

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